ふんふさんの場合
<父方の祖父>
享年69歳。酒飲みで仕事は趣味程度、でも仕事していると思われたいのでトラクターに乗るのとかは好き(下手だけど)。
猫が嫌いで、うちで飼ってる猫が視界に入ると水やお湯をぶっかけていた。
医師からどんなに酒を止められても「動かんと呑む」を貫いた。
お気に入りはウイスキー角のいいちこ割り。
入院するまで、おばあちゃんと一緒にお風呂に入っていた。
糖尿&痴呆で入院中、祖母の代わりに中学生の私が世話をした。
やさしくしてたのに、帰ってきた祖母の顔をみたとたん、ボロボロ泣き出してショックだった。
嫁に来た母をいびり倒して、土下座もさせたことあり。
もう死にました。
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<父方の祖母>
現82歳。
生家も農家、嫁ぎ先も農家で、幼いころから延々と馬車馬のように働いている元祖ワーキングウーマン。
疲れたけん今日はもう休む、と言いながら庭で花を植えてるタイプ。
色白の公家顔男子が好み。
私には妹がおり、基本的にこの祖母に育てられた。
3歳児に「お土産にひろてきたけど、もう動かんようになってしもた~」と言いながらセミをカバンから出す。
私に「一人だったらなんかあったときどうするん、二人目産みよ」と予備の子供がいる風に言うのは、実は2歳の娘を1人亡くしていることから。
昔、祖父と一緒になって母をいびっていて、いまプチ仕返され中。
大好きです、長生きしてほしい。
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<母方の祖父>
享年77歳。山の人で、陸軍士官学校卒だが出兵前に終戦。
私には話しかけてきたことがない。
なんの報酬もないけど前に出てしゃべったりする役員などは進んで引き受けるが、稼げる家業(林業・農業)は面倒くさがり適当にサボり、祖母にさせていた。
ものすごく几帳面で、掃除が得意。
杉板で見事にジャストサイズな収納を作ることができる。
出戻った姉と妻の間に挟まれて過ごす。
半身不随で10年入院した後、死にました。
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<母方の祖母>
享年81歳。徳島の中では比較的街の、裕福な家で育つが、空襲にまきこまれてPTSDを患う。
神奈川で女学生していたころに祖父と見合い結婚。
都会にいたかったのに徳島の山奥に連れてこられたことを恨む。
「もう宿題しとん!?ごっついな~総理大臣になれるわ~!」
といったような慇懃無礼にもとれるほめ方をするので、小学校高学年位からだんだん話をするのが嫌になった。(本人はただほめてるだけなのも知ってましたが。)
あと、カレーに輪切りしたバナナを入れるので嫌だった。
「へぇー!山ではほないするんやなぁ~、街の子やけん知らなんだわぁ~」
的な、しょぼい悪役みたいなことを地元の人に都度言うため、嫌われ気味。
特に、出戻りで1つ上の義姉とは全く折り合いがつかず、78歳のころに1度、階段から突き落とされる。
山の細道の運転中、対向に失敗して転落、直後にその道を通りかかった友達が「これは、死んでもうたな・・・」と思って手を合わすような落ち方をしたのに無傷。
身体はとても丈夫でしたが、火葬後に歳の割に残りすぎの白骨に交じって、膝の手術で入れていた鉄骨とボルトが出てきたとき、こんなものを身体に入れていたのかと、胸が痛かった。
夫と義姉を見送った1年後の正月に心臓の血管を詰まらせて死にました。
せっかく嫌いな人が死んだのに全然楽しんでなかった。
もっと会いに行っておけばよかった。
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おまけ
<べべばあちゃん>
享年81歳。母方の祖父の姉(大叔母?)で、ずっと「べべばあちゃん」(べべ=服 のこと)と呼んでいた。
昔は、山には祖母が2人いると思っていたけど続柄違いますね。
ぼそぼそ何か言っているので耳を傾けると、たいてい祖母の悪口だった。
和装のお針子さんをしており、毎年ゆかたと綿入れ(どてら)を作ってくれた。
祖母の悪口を役場などにも言う。
美味しい寿司の作り方なども、「○○(祖母)には教えてやらんけど、○○ちゃんには言うたげるわ」などなど。
細かい作業が得意で、お料理も上手でしたが、いかに介護されようとも祖母と和解することは死んでもありませんでした。
ふんふ