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Mさんの場合
祖父母、この不思議な存在。誰にでも四人いる、というけれど、自分には実質、祖父母は合わせて三人しかいない。父方の祖父、祖母、母方の祖母だけだ。
母方の祖父は? 実は一切会ったことがない。名前も知らない。今、生きているのか、死んでいるのかすらわからない。他の祖父母三人は全員物故したので、もしこの名も知れぬ母方の祖父が生きていたら、彼が「生存する唯一のソフボ」ってことになる。息してんのか。確認する術すらないけど。
考えてみれば不思議なことだ。「祖父母」というけれど、これ、すなわち、自分の「ルーツ」である。①ルーツであり、かつ、②多くの場合、直接、間接に当人に関する情報が入手できる。例外はあるけれど、祖父母とは、そういうものだと言っていいだろう。ところが、自分にはまずその「ルーツ」の4分の1が最初っから欠損してるのである。
さらに不思議なことに、自分は「母方の祖父がいない」「会ったことがない」ということを疑問に感じたことすらなかった。「いない」ということ「不在」ということにすら気づかなかったってことだ。
後年、この「不在の祖父母」の謎はあっけなく解決する。母方の祖母が死んだとき、財産処分の関係で、母が戸籍謄本をチェックしたのだ。そこには祖父の名前もあった。その時、確かに自分も祖父の名前を見たのだけれど、やっぱりまったく記憶していない。というのも、それ以上に衝撃的な事実が発覚したからだ。「うちのおばあちゃん、二度も離婚しとる!」。
祖父は戦争で死んだのだと、自分は何となく思っていた。でも、母によれば違った。離婚したので「死んだ」ことにされていただけだったと母は弟に言っていたらしい(自分はそんな興味すらわかなかったので、何も聞かずにラモーンズを聴いていた)。母は母子家庭の子だった。
ところが、真実はもう1つディープで、祖父は祖母の「二人目の夫」だったというのだ。母方の祖父に関する情報は、後にも先にもたったこれだけ。
これで自分のルーツの4分の1は途絶えたも同然なのだが、もう片方の祖父も、なんやらようわからん人だった。常に坊主でランニングシャツを着ているような人間だったのだが、子ども心にもちょっとヘンっていうか、こんなこと、こんなとこでカミングアウトしちゃっていいものなのかな、どうなのかわかんないんだけど、まあいいや、言っちゃうと、どうもこれが「日本人」ぽくない。
そもそもからして言葉がおかしい。というか、あれはろくに、いや、ほとんど日本語喋れてないレベルと言っていいんじゃないかと思う。
母に会うと、祖父は必ず「恵子さん(母の名前)、天ぷらにスイカ食べると風邪ひきまっせ」と食い合わせの話をしていたのだが、その発音も「けいこしゃん」「ひきましゅしぇ」という感じで、一体何を言っているのかにわかには判断しにくいというか、正直なところを言えば、祖父が本当に「恵子さん」「天ぷら」「スイカ」「風邪引きまっせ」と発音しているとは到底思えなかった。何かゴニョゴニョ祖父が言っていることを、母親が「またお義父さん、天ぷらとスイカの話をしてる~」と勝手に合点することにしてるだけ、という感じしかしなかった。
父方の実家は尼崎だし、見てくれ、ルックス的にも、ぼくも父親もよく「韓国人?」とか言われるし、この前、在日コリアンの友人が徳島に遊びに来てくれたのだけど、その人と一緒にいると、他人から「親戚ですか?」「ご兄弟ですか?」とも言われたし、実際似てるので、なんか民族的にコリアンの血入ってんじゃないか?って思いついたのは大人になってからだった。
思いつくと、祖父の日本語がカタコトな感じとか、ほとんど自分のルーツが抹消されてる感じとか、なんかいろいろ辻褄合うような気がしてくる。そういうファンタジーに、たまに耽って遊んでいる、というか。でもなあ。本当かどうかわかんないのに、勝手に「実はコリアンの血が入ってるのだ」とも言えないし、いちいち両親に聞く、確認するのもどうかと思うし、聞くほどの好奇心もないし。とりあえず、自分、キムチは大好きだし、スンドゥブチゲは頻繁に作るし、カンジャンケジャンすら自作する。ほんともうなんでもいいや。
ついでだから、これもこんなところで、ってか「こんなところ」「こんなところ」って連発するの、タニの家にも祖父母展にも失礼だな、まあいいや、いいのかよ。こんなところで話しちゃってアレなんだけど、結婚するとき、「たかじん」関係のアホなテレビが大好きな妻のお父さんから「Tくんは韓国スターのような顔しとうけど、まさか在日の血は入ってないよな?」と聞かれたことは多分一生忘れないと思う。そのときは、自分に韓国系の血が流れてるなんて考えたことなかったから、フツーに「うわ、そういうこと気にするんだ。さすが徳島、クソ田舎の百姓だ。人権意識が2、3世紀遅れてらあ。住井すゑの本、全部重ねて脳天でもかちわったろかしらん」と思いながら「父も母も「日本人」です。それが何か?」と返すしかなかったのだけど、結婚して子どももできた今、いきなり「実はコリアンだったんですよ」とか言ってみようかな。そしたらおもしろいだろうな。どうするかな。矛盾して苦しむかな。レイシストだったら矛盾で苦しめたいな。レイシストじゃなかったらそもそも何も苦しまないからどうでもいいな。って、本当にこんなこと、「ここでいうこと」じゃないな。
というわけで、祖父母について考える。自分にとっては「自分のエスニシティについて考える」っていう、わりかし重いテーマになってしまったんだけど、自分はそんな重いテーマを軽く語るのが好き。そんな自分のおじいちゃんは誰で、何人なんだ。知りたいような知りたくないような。
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