村上龍呪さんの場合

祖父はシベリアに抑留されていた。
極寒の大地で、薄いスープのみを糧とした。
毎日大木を伐採し、運ばされた。
トラックのような丸太が突然滑り落ちてきて目の前にいた人間をふっ飛ばし、押しつぶした。
一人また一人力尽きていった。
祖父もまた腸炎で重体となった。
硬いベッドの上で何を思っただろう。
ある日、日本行きの船が近くの港に到着するという情報が密かに流れた。
しかし祖父は自力で歩くこともできない。
このチャンスを逃せば二度と日本には帰れなかっただろう。
だが、秦軍曹という方が「お前は帰らなければならない」と言って、担いでくれた。
そして船に乗り、日本に帰ってくることができた。
そこにいた誰でもその船に乗れたわけではない。
みんなに嫌われているやつには情報も届かなかった。
祖父はその話を私にしてくれた後、秦軍曹に会いたいと言い出した。
何とか探し出して、愛媛まで会いに行った。
秦軍曹は既に亡くなっていた。
祖父が日本の土を踏んだ時、ちょうど桜の時期で、満開だった。
その時の光景から安堵の心情が溢れてくるように感じる。
祖父は庭に桜を植えた。
祖父が死んで3年後、私はその桜の木をチェーンソーで切り倒した。
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祖母は滅多に家から出ない。
家族で外食する時も一緒に行くことはほとんどない。
常にひどいマイナス思考で、幼い頃から私もそれを植え付けられてきた。
少し帰りが遅くなったら何度も何度も電話をかけてくるのは今でも変わらない。
心配しているのだ、と祖母は言う。
心配してたら何しても赦されるのか!と怒ってもわかってもらえない。
話が通じない。
今では耳も遠くなって、まともに会話できないが、元々話は通じない。
妹が高校生ぐらいの時、帰りが23時ぐらいになった事があって、さすがに家族全員心配していたが、祖母は一人だけ先に諦めてしまい「もう殺されて土手に捨てられとる」と言った。
父はそれに激怒した。
私も父と同様に非難した。
が、心の中では祖母と同じように土手に捨てられている妹を想像していた。
敷島慎也

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