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ささき ようすけ さんの場合

『4848-I 宇宙砂中』 『4848-II 宇宙湖中』


私には、おじいちゃん・おばあちゃんと呼べる人が 7 人いた。 父方にはおじいちゃんとおばあちゃんがいて、 母方にはおじいちゃんとおばあちゃんとひいばあちゃんが 2 人と ひいじいちゃんがいた。

けど、ひいじいちゃんはほとんど記憶がない。
私が本当に小さい頃に亡くなってしまった。 私にとってのひいじいちゃんの記憶は葬式だけなのである。
ひいばあちゃんはいつも祖父母の家の離れに 2 人で居て、 座敷の奥に居る神様とか、そういうような印象である。
2人とも私が高校生になる前に亡くなってしまった。

父方の祖父母は北海道の小さな漁師町で昆布漁師をしていて、
正月に会いに行くとニコニコと迎えてくれた。
酒の好きな愉快なおじいちゃんは私が高校生のころに、
やさしくて話好きなおばあちゃんは私が大学生のころに亡くなった。

母方の祖父母は徳島で米を作っていた。
夏に遊びに行くと方々へ連れて行ってくれて、山でセミを獲った思い出は懐かしい。
大学に入り祖父母と一緒に住むようになると、 只々優しいだけのおじいちゃん・おばあちゃんではなくなった。
一人の人間として生きていくための、大切なことを教えてくれた。 80 近くまで現役で米を作り続けたタフなおじいちゃんは 私が大学生のころになくなった。
私が祖父母から学んだことはたくさんあるが、 最も大切なことは、「命」ということではないだろうか。
命在る者は必ず亡くなるということ。人が死ぬとはどういうことなのか。
それを身をもって教えてくれたのが、 私のおじいちゃんとおばあちゃんだった。 そして、「私」という命をくれたのも祖父母たちなのである。

今、私にとってのおじいちゃん・おばあちゃんは
母方の祖母が一人残るだけとなった。
そんな唯一のおばあちゃんも、
肉親の顔を判別できなくなるほど老いてしまった。
私はそのおばあちゃんが作るおはぎが大好きだった。
おそらく、あの味を味わうことはもうできないのだろう。
私の愛おしいおじいちゃん、おばあちゃん、
私に私という命を与えてくれてありがとう。

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