やりがいについて考えてみた
仕事のやりがいについて聞かれたことがあった。
その場では、なんてことのないソレっぽいウケが良さそうなことを話した。
しかし、本心では”やりがい”について答えがでなく疑問が残ったままだったので、退勤後の帰りの電車で考えていた。
“やりがいってなんだ”
一通り思い巡らせてみたが、分からなかった。
分からなかったので、その日に起きた仕事のことを思い返してみた。
先輩が不在のなか、何事もなく時間が過ぎ自分の自分の手柄だと思う自分
しかし、その後トラブルが起き、無力さを痛感する自分
上手く指示ができなくてイライラする自分
年上の同僚から冗談で先輩と呼ばれ、少し調子にのるが謙遜した自分
元々謙遜することが嫌いだったのに、謙遜した方が人付き合いは楽だと思い始めた事に気づく自分
やりがいについて考えている自分
そんな自分が存在した1日だった。
話が逸れ始めたので、”やりがい”について話そうと思う。しかし、どうしても考えているが”やりがい”の答えはでなかった。
そこで、”やりやすさ”や”やりにくさ”について考えてみた。当然だが、自分が120%満足する”やりやすさ”はなかった。どちらかというと、”やりにくさ”の方が多い気がする。
しかし、そんなストレスに感じる”やりにくさ”を”やりやすさ”に変えていく過程では、前述したような色々な自分と出会えた。
上記を踏まえて改めて”やりがい”について考えると、今日まで自分は”やりがい”に対して結果を焦点に当ててたのかもしれない。結果に焦点を当てると”やりがい”はない。
一方で、過程に焦点を当ててみると前述した様々な自分が浮かび上がってきた。
そんな自分と出会えたことが、”やりがい”といえば少しだけ腑に落ちた。
自分には存在してないと考えていた”やりがい”が少しだけあるように感じた。