ネガ主婦は「足るを知りたい」
みなさん、こんにちは。ネガ主婦はなです。
本日は早速ですが、夫以外の登場人物が登場します。
こんな私ですが、周囲の人たちはポジティブ思考な人間が多い環境です。
そんな私が授けられた言葉
「足るを知る」
今日はこちらについて備忘録としてまとめさせてください。
探究心が強く、自己肯定感が低いネガ主婦には「満たされていない感」が付き纏います。
例に挙げれば、幼い頃から「自分はもっとできたのではないだろうか」、「もっと外見も内面も磨きたい」、「預金が少ないのではないか」などといった思考に襲われることが多いのです。
さほど裕福ではない家庭で育ったネガ主婦は父親によく「お前は贅沢」、「もっとあるべきものに感謝しろ。足るを知りなさい」と言われていました。
当時は「私に何も買い与えたくないからこんなことを言うのだ」、「みんなみたいに何も持っていない」と卑屈になるばかりでした、
しかし、幼いながらに父親は「いつも幸せそうで、のほほんとしているな」とは不思議に思っていました。
それ以降も「欲しい、恵まれたい」の思考に囚われた私の人生はなかなか苦しいものでした。
「○○さえ手に入れば私は楽しく生きていける」
その○○が手に入ると、次の○○が登場します。終わりがない渇望感。常に満たされていません。
そんなある日、私が尊敬する友人の自宅アパートにお邪魔します。
ネガ主婦は度肝を抜かれるのです。
築40年のリノベーションアパートに最低限の家具、家電。クローゼットの中身はすっからかん。
これはまだネガ主婦が「ミニマリスト」という概念を知らない頃、なかなか強烈な体験でした。この日出会うミニマリスト思考についてもいつか備忘録として書き留めたいですね。
しかし、少ないものは全て少数精鋭でどれも良いものばかりでした。多くを望まない代わりにそれぞれの質が高いのです。
すっからかんのクローゼットに掛かる数少ないお洋服たちはどれも友人にバッチリ似合っていて「センスの良い友人」だといつも思っていました。
この部屋はそのまま友人の脳みそを反映しているかのように思えました。
「自分で管理できる範囲を知っている、少ないお気に入りで満たされている」
ネガ主婦にとってなんて理想的な暮らし。
一方でネガ主婦のクローゼットはパンパンで、いつも「着る服がない」と値段はピンからキリまで買い漁り、代わりに預金は減っていくばかりでした。
今思えばくだらない見栄なのです。「いつも同じ服を着ている人間だと思われたくない」、「型遅れでありたくない」。「お気に入りを大切に着ている人間」、「時代に流されない自分のスタイルを持っている人間」。こちらの方がどう見ても魅力的なのに。
改めて家族やこの友人からよく出る言葉「足るを知る」を深掘りしていきたいと強く思いました。
そもそも足るを知るとは仏教や儒教の思想に由来しており、物質的な豊かさや成功を追い求めすぎることなく、今の自分の状況や環境に感謝し、満足することの大切さを伝える言葉です。
幼い私はこの言葉の本質を理解しておらず、「少ないもので満足しなさい」、「欲張ってはいけない」くらいに捉えていたため、「なんてひもじい考え方」と毛嫌いしていました。
しかし社会人になって数年、友人の部屋を見ることで足るを知るが具現化されたかのように見え、一気に解像度が上がるのでした。
「今あるものに感謝する」当たり前であるが故に忘れがちですが、この思考は本当に気持ちを楽にしました。
思い返せば、脳天気夫も出世やお金にあまり執着はありません。私が作る料理の品数が少なくても「お米炊いてくれてありがとう!」「おかず美味しい!十分過ぎる!」といつも褒めてくれます。そんな彼はいつも幸せそう。
足るを知るへの解像度が上がってからは周囲を見渡すと、まさに足るを知る人間といくらでも欲しい人間に分かれていると感じました。
世帯年収は高くとも全ての生活水準が上がってしまっているため、多額の支払いに追われ義務的にきつい仕事を続けざるを得ない人間。それでも上を見ては「足らない、足らない」と口に出している。
量より質を身の丈に合わせて選び取り、家族と穏やかに暮らしているため貯蓄もそこそこあり、辛いと感じた仕事から収入は下がるも転職して生き生きと暮らせる人間
同じ40代でもなぜか足るを知る生活をしている後者の方が若く見えるのです。心の余裕が外見に現れているのでしょうか。
私はもちろん後者のような人生を送りたい。まだまだ隣の芝が青く、ネットを開けばたくさんの商品の情報が目に入る。そんな時は穏やかな夫の笑顔と我が子の笑顔を思い返して幸せを噛み締めます。
すでに私たちは「十分なものを持っている」
何かと比べて辛い時にふと思い返してもらえれば幸いです。
長い備忘録にお付き合いいただきありがとうございました。
ネガ主婦はな
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