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【キナリ杯参加させていただきます】僕の大切でかけがえのない宝物の話

初めまして、たにがわちひろと申します。社会人3年目の24歳です。

初投稿、緊張しています。

文章を書くのが好きで、ずっとnoteに投稿をしたいと考えていたのですがきっかけが無くて挑戦していませんでした。

今回、主催の岸田さんのツイートをたまたまお見かけしてぜひ参加させて頂きたいと思い書き始めました。素敵な企画をありがとうございます。



さて、1作目は【僕の宝物】というタイトルにしてみました。宝物って言われてすぐに「これだ!」って言える人はどのくらいいるんでしょうか。僕には、今明確に「これだ!」って言える宝物があります。

それは自分の故郷です。


僕の故郷は長崎県の『青島』というとても小さな島です。

人口は250人弱ほど、信号機もないしコンビニなんてあるわけもない、21時には通りが真っ暗になる、そんな『The ど田舎』ってやつです。

小学校と中学校は併設になっていて、僕が在籍していた時の総生徒数は15人ほどでした。もちろんみんな、兄弟みたいな状態です。好きな食べ物、嫌いな食べ物、家族構成や好きなテレビ番組など、みんなお互いの事をたくさん知っています。

息苦しくなってしまう事もあったけどやっぱりどこか居心地が良くて楽しい少年時代でした。


でも当時の僕は、本当に失礼な事ながら「なんでこんな所に生まれたんだろう」と自分の故郷が嫌いだと思っていた事がありました。

ゲームや漫画が発売日に買えたことは一度もない、遊園地やゲームセンターもない、友達も限られているし、やりたいスポーツも出来ない。

のびのび生きて楽しい時間を過ごしながらも、心の隅にそんな気持ちを孕ませながら過ごしていた気がします。


時は流れて高校進学を機に故郷を離れました。実家から通える範囲に進みたい高校がなかったので、下宿で過ごす3年間を選びました。

実家を離れたと言っても、進学先は地元の隣の隣の市です。

不安は多少あったけど、「なんて事はない!むしろ都会に出られて嬉しい!」と心に言い聞かせて期待に胸を膨らませる新生活が始まりました。

…いや、なんだこれ…めちゃくちゃしんどいやん。

入学して最初の週末を迎えた僕の心の声です。いや、たぶん心から漏れて声になっていた気がします。

総生徒数15人から1クラス40人の6クラスという大所帯へ。出身中学が同じ友達なんて一人もいない。もうすでにグループができていて自分が入り込めそうな隙間が見当たりませんでした。

入りたかったサッカー部には入れました。ただド下手くそすぎて、

「この輪の中にいていいのだろうか」

って気持ちになって居心地の悪さを感じてしまっていました。


走りました。

理由はわからないけど、とにかく闇雲に。

今思うとそんなに都会じゃないけど、当時の僕には都会に見えた街並みを横目に、ただひたすら森を目掛けて走りました。

僕の心と体が自然を、田舎を求めていたのかもしれません。

走り着いた林の中で、気がつくと涙が出ていた事を今でも覚えています。笑


母に電話をしました。

「まじでしんどい。こんな風に苦しい生活になると思っとらんやった」

母は言います。

「初めからあんたの良さを分かってくれる人はおらんよ。とにかく笑顔で過ごさんと人は寄って来んけん、みんなと明るく接してみんね」

そんなの無理だ、って電話を切ってから思っていましたが、週明けから実践していくと少しずつみんなと話せるようになって、次第に友達も増えていきました。

下宿の環境は厳しかったですが、仲間に恵まれて少しずつですが生活にゆとりを持てるようになっていきました。


夏休みがやってきて、数日だけ帰省できることになりました。

なんだか、見慣れていたはずの景色が違って見えました。


「帰ってきたとね〜!」と、近所のおばちゃんが嬉しそうに声をかけてくれます。船着場から家に着くまでのほんの数100メートルで、5人くらいに声をかけてもらいました。

ちょっとした芸能人気分だ、と心の中でニヤニヤしたのを覚えています。


「お母さんの料理ってこんなに美味しかったのか」

感動して、ご飯をおかわりしました。メニューまでは覚えていないけど、島を出て食べた何よりも美味しかった事だけは確かに覚えています。

祖父と祖母が、満面の笑みで話を聞いてくれるのはとても嬉しくて、父と今までよりほんの少しだけ背伸びした話題で話す事が楽しかったです。


海が澄んでいて、沈んでいく夕陽が特別な物に見えました。

幼い頃から何度も通っていた浜辺が、どんな観光地にも負けない素敵な浜辺だった事に気付きました。


「これが自分の宝物だ」

この時に初めて、自分の中にこの気持ちが生まれました。


優しい人達が自分の事を見守ってくれている事。

家族が温かく迎えてくれる事。

幼い頃から変わらない自然が存在し続けている事。

未熟な高校一年生の僕が、故郷を宝物だと感じた夏の日になりました。



その後の僕は山梨の大学に進学して、現在は東京に住んで東京の会社に勤めています。

高校卒業以降の「すべらない話してよ」ってフリには、いつも決まって『地元の島で猪に追いかけられて、猪と50m走をした話』をしています。

こんな貴重(?)な経験をした人ってなかなかいないと思うので、胸張って話してます。

冒頭ではいつも「実家の島は、信号もコンビニも何もないけど人が優しくて自然が豊かな島で」って、宣伝を添えて。


人口減少で過疎化したり、高齢化が進んで住みづらい地域になっていくんじゃないだろうかって心配な気持ちもあります。

「いつか、何か地元に貢献できる仕事がしたい」

そんな気持ちは常に持っているけど、まだ何一つ恩返しが出来ていません。

だからこそ、この場をお借りして、微量ながら故郷の事を発信する事で、少しでも愛する故郷に興味を持ってくれる人がいたら嬉しいなと思います。

新鮮な魚介類が食べられます。

綺麗な海で泳ぐ事が出来ます。

魚釣りが楽しめます。

優しい人達がいます。

ほんの少しでもいいから、魅力が伝わったら嬉しいです。

足を運んでみて下さいというのは、なかなかハードルが高いかなと思います。だから、心のどこか隅っこで長崎県の『青島』という島の事を覚えておいてもらえたら、それだけで嬉しいです。


大好きな故郷だから、また何かしらで記事にします。

非公認ですが、観光伝道大使になったつもりで精一杯魅力を伝えていく所存です。


最後まで読んで下さって、ありがとうございました。

僕の宝物の青島と、そこでのびのび育ててもらったたにがわちひろを、どうぞこれから宜しくお願い致します。

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