黙示録10:6 もう時が無いの意味補足
終わりの時 は大きく分けて4つあります
1798年 1260年間のカトリック支配の終焉
1844年2300の夕と朝の預言が成就した時
恩恵期間が終わり神の裁きが始まるとき
再臨の時
※裁きの時と言うのは天で審判がある事 裁きの結果に応じ地上で実際に裁きが実行されることの2種類あります
※ユダヤ歴でも現在のものではなくカライ歴が使われていますのでユダヤ歴より1カ月ぐらいの差があります
10:6 天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを造り、世々限りなく生きておられるかたをさして誓った、「もう時がない。
黙14:7 大声で言った、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」。
ダニ8:17 すると彼はわたしの立っている所にきた。彼がきたとき、わたしは恐れて、ひれ伏した。しかし、彼はわたしに言った、「人の子よ、悟りなさい。この幻は終りの時にかかわるものです」。 これは8:14にある二千三百の夕と朝の成就を指しています
この二つの黙示録の聖句は同じ方をさして誓っていますこの時と言うのは残り時間が無くではなき 裁きの時の事を言っているのです ここでいう裁きの時審判が始まるときを指していますダニエル書でも終わりの時審判の時を指しています
that there should be time no longer:
これより後は時の預言が無いと言っているのです
ですから終わりの時の七年の艱難説は間違っています
何故なら7節のこれは第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には 第七の御使が吹き鳴らすラッパはいつ吹かれたのかで時期が解り再臨の時ではないことが解ります
黙11:5でラ第七のッパが吹きならされていることが解ります
黙11:19 そして、天にある神の
11:19 そして、天にある神の聖所が開けて、聖所の中に契約の箱が見えた。
つまり至聖所が開かれた時であることが解ります
2300の預言の成就の時であることが解ります
結論として1844以降 時の預言が無い事が証明されました
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