議員になってわかったなり手不足の要因
あくまで個人的見解で、どこかの研究結果を参考にしているわけではありません。そのため、信じる信じないは自己責任でお願いします。
一番大きな理由は関心がないこと
自分が政治について興味を持ち出したのは、親の影響もあると思います。新聞をとり、ニュースをみていた家庭で育ちました。私はテレビ欄にしか興味はありませんでしたが、そういう話題を目にすることが下地にあったと思います。そして、最初に入社した会社の上司が選挙に行きなさいという人でした。そのため、関心がゼロではなかった。
そのような下地の上に、地元の祭礼関係者の方が議員となり(この方は全くの未経験、無所属)活動報告をみて、飲み会で質問したりする環境が重なり、政治に関する関心もちょっとずつ育ちます。それと同時に子育てについて自分ができることを考えるようになりました。
このように、自らの関心が育つ環境にあったのでやってみようと思ったのですが、そのころ友人に誰一人として政治の話をする人はいませんでした。おそらく多くの人はそうなのではないかと思います。投票率も50%そこそこなので、投票に行った人で半分。興味がある、話題にするという人はそのうちの何%かわかりません。関心がなくても毎日は過ぎていきますし、政治よりも大変な話題が自分たちの目の前にはたくさんあるので、政治への関心は高まりにくいといえます。政治家にはちょっと悪いイメージもあるしね。
このように関心がないからというのがなり手不足の一番の原因ではないかと思うわけです。ちなみに議員以外のなり手不足も当てはめることができそうです。町内会なども、私は親が共働きで、引っ越しも何回かしているので、町内会の活動は子ども会くらいしか知りませんでした。結婚してアパートで暮らしましたが、町内会はありませんでした。掃除当番はありましたが。
そんな人は町内会に関心がありません。関心がないというか知らないのです。私の場合は子ども会で一緒だった友達から祭礼に誘われ、戸建てに引っ越すと同時に祭礼関係から町内会へ加入しました。そうしたつながりがない場合は入れという方が酷な気がします。だって知らないんですから。
知らない。曖昧。これが不安。だから入らない。
町内会や子ども会、そのほかのコミュニティも加入率が減少し、存続が危ぶまれています。そんな中で議員として活動しわかったことは、みんな存在や活動内容を思ったより知らない。会のルールやスケジュールが思ったより曖昧。やることがわからず、スケジュール等も曖昧なので、大したことでなくても常に不安が生まれます。不安があるので入らなくていいなら入りません。でも、ごみ捨てはお金も払うし掃除当番もやります。という家庭が増えているようです。そりゃそうですよね。町内会といえばゴミ捨て場の管理をしているというのはみんなよく知っている。
議員についても同じ原理だと思います。いつやるの?何やるの?というのがわかりにくかったりします。議会の活動、議員活動、後援会活動、ボランティア活動など線引きがあいまいな活動もあり、曖昧なところもあります。選挙も法律というかルールがよくわからず、何回も選挙管理委員会に連絡しましたが、警察の関係もあり、おそらく大丈夫というような曖昧な中で進めることもありました。そういったところが壁になっていると感じます。区長なども同じような気がします。
報酬が少し増えても意味はない気がする
議員になる前は、区長の報酬の低さにびっくりしました。名誉職というか、お金に余裕のある人しかできないだろうな。という感想です。それを、例えば103万円に上げたとして、根本的ななり手不足の解消にはならないと思います。議員も同じで、倍になるなら話は変わりますが、年間10万円、20万円増えたとしても成り手不足は解消されないでしょう。それよりは、デジタルの導入やマニュアル、ルールの整備。仕事の見える化。相談員の設置など環境をよくすることと並行して、知ってもらう活動を地道に続けることだと思います。子ども会役員でも大幅に上がれば話は別ですが、そうでない場合は同じ状況ではないかと思います。
あと、報酬関係なく志をもってやりたいという人もいるので、ボランティアでもそうですが、ひとくくりにしてはいけないと感じます。各ボランティアの方々は本当に尊い精神で頑張っておられるのも、議員になって初めて目の当たりにしました。祭礼とはまた違った世界でした。そういうところをもっと知ってもらう活動は必須だと思います。そこから興味がわいて手伝ってくれる人は出てくるのだと思います。
私なりの解決策
少子高齢化の中で自然と不必要な組織などは淘汰されていくのかなと思っています。ただ必要以上に減るのはいけないと思うので私なりに解決策を考えてみました。
広報
発信力を高めて知ってもらうことが大切です。知ってもらわないと何も始まりません。LINE公式アカウント、HPやFBページなど便利なツールを活用すること。お年寄りに配慮しすぎて若者が入ってこない構図を変えて、若者に配慮してお年寄りを支えてもらう方向性。若者も全員が活動自体をしたくないわけじゃないと思います。
明文化
不言実行が美徳の時代からの変化を求められています。言わなくてもわかるだろうという共通認識は減っています。これは多様化の証であり、困難を受け入れることができる体制にもつながっています。僕らの時は外国人のための部屋は学校にはなかった。なかったから知らないところで泣いていた人もいるかもしれない。でも今はある。それによって解決した問題もあるはず。多様化するとはそういうことだと思う。
そういう状態だからこそ明文化が必要で、共通認識を定義しないと余計な可能性を考えないといけないので不安になります。その精神的負荷はやらないことを選択するに値するくらい辛い。
その中で、伝統(精神性)を守り、世の中に合わせて変化していくのが生き残る組織なのだと思う。テレビで天皇陛下を見ることができるなんて、平安時代の人からするとありえないわけですが、天皇陛下を思う気持ちはそこまで開きがあると思えないんですよね。神様!ってほどではなくなっているかもしれませんが、敬うという気持ちはあったりします。伝統ってそういう精神性を指すもので、プロセスは変化していいんじゃないかと思います。精神性が変化してしまうプロセスは注意が必要ですが。
広報と明文化。あとちょっとした効率化も加えてもらえるといいのかなと思っています。DXとかですね。そういうことを取り入れてもらえるように、さらなる学びを深めてまいりたいと思います。