「嫌いなものは自己紹介です」という自己紹介をするほど、若くはなくなった
「鹿児島在住43歳。特定非営利活動法人(NPO)の代表をしている。」
わりとパブリックなところで行う自己紹介はこう答えることにしている。
とはいえ、そこまでパブリックでない場所(こじんまりしたセミナーとか有志が行う勉強会、フランクな飲み会など)で自己紹介をする(させられる)ことも多い。
もちろん、私は中2病をこじらせたことがあるので、異様なまでの自己顕示欲とか、自分をよく見せようとして空回りとか、それらが2~3回転して、何もしゃべらないとか自己紹介の時間になると外にタバコを吸いに行くとかを一通り経験しているわけですよ。そして、いまだに中2病が完治しているとは言い難いので、そういう場所では「毎日麻雀してます(ややウソ)」「競艇で暮らしています(現在は有期引退中)」とか答えているのですが、さすがにNoteでそういう冗談を書いても、ひかれてしまうだけなので、そんな気持ちをぐっとこらえてドカーンと一発自己紹介を書いてみようと思う。
「何をしているところなんですか?」と聞かれても困る
NPO法人の代表ではあるのだけど、NPO法人といっても、ほんっとうに様々なものがあるので、「NPO法人の代表」と言うのと「何をしてるんですか?」と聞かれるのとはセットなので、普通に「困っている人の支援を行うNPO法人の代表をしています」というのが標準。具体的に言うと「相談を受けたり、訪問をしたり、一緒に勉強することもあるし、一緒に遊ぶこともある、病院とかハローワークに同行することもあるし、就職面接の練習相手をすることもある。バーベキューしたり、そうめん流ししたり、花見をしたりスイカ割りをしたりもします」とかなって収拾がつかなくなる。
うちは、福祉でも支援(だけ)でも教育でもない。
支援のことだけを強調するのもどうかなあと思う。うちは、福祉でも支援(だけ)でも教育でもない。「困っている人がそれぞれの持っている力で、時には協力して前に進んでいく」ことは目指すことの1つだけど、「前に進むばっかりじゃなくて、止まったり、バックしたりしてもいい」と思っている。その人のためには、その状況や場所にとってはその方がいいと思えば、「協力しない」ことだってある。
そもそも、仕事がその人をどれだけ表すのか
私の周りではわりと「老人ホームに入ってまでも、どんな仕事をしてきたかしか話すことがない大人」にだけはなりたくない、という価値観があるように思う。「若者がやることには口を出さずに金だけ出してくれよ」と言っていた我々ももう言われる側だ。「遊んでいるように仕事をして、仕事をしていても遊んでいるようで」「もちろん辛いこともあるけど、楽しく(あるいは、社会貢献というか恩返しというか)仕事をしたい」と思って、そうでない仕事をやらないでここまで来た。どこからが仕事で、どこまでが遊びか、何がパブリックで、何がプライベートかの区別もほとんどない。
じゃあ、どんな人なのか
と言われて、「何が好きです」と言うのも何かが違うと思っている。そもそも、その人がどんな人なのかを知るために自己紹介をするのに、知らない人が何を好きか聞かされても迷惑だろうなと思う。みんなそんなに私に興味ないですよね?
NPO法人としては、利用者さんや相談者さんからは全くお金を頂いていないので、「主な収入はなんですか?」とか「なりわいはなんですか?」と聞かれることもある。いちおう、個人としては、家庭教師とか「かごしま若者サポートステーション」で非常勤で働いたり、講演の謝金も収入だし、NPO法人として行った活動に対して人件費の出る助成金があってそれをいただくこともある。でもほら、サラリーマンではないから、どこからのお金を何にどのくらい使って全体としてなんとかマイナスではないってことを説明するのってものすごく時間がかかるよ。決まってもらえるものとか少ないし。
そういえば、書くことはずーっと好きだった
小説家になりたかった。大学に入った時は東京スポーツの記者になりたかった。ライターとしてお金をいただいたこともある。今でも、相談の中で、コピーライターのようなことや、コンサルのようなことを行うこともある。そういえば、「これからどう生きていきたいか」を一緒に考えるというのは、人のコンサルなのかもしれないなあ。それはともかく、お金をもらえるかどうかは別として、ずーっと、いろんなところに書いてきた。これからも書いていくんだろうと思う。その場所として今は、FacebookとNoteを主に使っている。
動いてきた軌跡、書いていくものが示すものがあると思う
たとえば、私がNoteに書いたもの、そのタイトルをざっと眺めるだけでも、見えてくるものがあるのではないかと思う。今はまだ、30本しかないから、そんなに見えないと思う。でもこれから、書き続けていくことで、もっとはっきり見えてくるのではないかと思う。なにが見えるのかは、私にもわからないけども。