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なぜ、私がボランティア活動をするのか(道案内としてのボランティア)

最近はスマホやナビの発達により、街中で道を聞かれる、という機会は減ってきているように思う。


私は、昔から、人に道を聞かれる機会がなぜか多くて、「まあ、暇そうに見えるんだろうなあ(実際そんなに急いではいないし)」と思っていたのですが、どうも、他の人に聞くと、そんなに道を聞かれる回数というのは多いものではないようで。

さて、以前に、東京で生活したことのある、鹿児島出身の友人と話していて、各地域における道案内の違いについて共感することがあった。

>東京で道聞くとさあ、「あそこの道を曲がったらコンビニがあるから、そこをまっすぐ行ったところですよ」とか教えてもらうんだけど、それもやっと捕まえた人に教えてもらうんだけど、その通り行ったら、まず無いのね。

>そうそう、コンビニなんて似たようなのがたくさんあるし、答える方も行ったことがないところを説明してるから、だいたいの感覚で答えてるんだよね。

>まあ、東京の街には、行くところがたくさんあって、そして、その人もその街のことを仕事や用事で行くところしか知らないから、そういうことになるんだよね。
 

>大阪で道を聞くとさあ、「まあ、うちでお茶でも飲んでいって」とか言われて、さんざん話を聞かされたあげく、何か買わないと外に出れないような雰囲気になるんだよね。
 

>そうそう、商魂たくましいというか、自分ところの商売につなげようとするんだよね。
 

>鹿児島の人はさあ、まず間違いなくそこに行ったことがあるから、本当にわかりやすく教えてくれるんだよね。場合によっては、そこまで一緒に行こうか、って付き添ってくれる人もいて。他県の人はびっくりするよね。
 

どこの人も、道を教えてくれる人は親切だ。
自分が知っていることで、誰かの役に立つのなら教えてあげよう(自分の仕事などに悪い影響がない範囲で)。

私がもし、他の人より知っていることがあったりして、それが誰かの役に立つのなら、私は喜んで教えてあげたいと思う。そんなことでお金を取ろうとも思わない。だって、ただ知ってるだけのことなのだ。

結局のところ、素人のやることなのかもしれない。
その道を究めて、お金の取れるような仕事をしていないということかもしれない。それならそれで仕方がないことだけど、私はこれからも、道が分からない人に道を教えたり、一緒に迷ったりしていくんだと思う。

今日の道案内
鹿児島県交流センターにて、学習支援を行う机をどこにするか高校生と歩いていたところ、おばあちゃんに「地域振興局はどこですか」と聞かれる。
地域振興局は小川町の方150mくらいなので、まっすぐ歩いて行けると思いますよ。

しかし、すぐそばに、共生協働課の窓口も、交流センターのインフォメーションもあるのに、私に聞くところがナイスです、おばあちゃん、その判断、正解だと思いますよ。私が一番案内うまいと思うから。地域振興局も時々行くしね。

この人なら知ってそうだとか、この人は親切に教えてくれそうだって、そういうのって、空気でわかるんだろうなあ。

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谷川勝彦(たにかつ)
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