ポーカー新人王になるまでのことと、これからのこと
2024年2月24日に、新宿にある「カジスタ東京」にておこなわれた、「第8回ポーカー新人王決定戦」において、優勝することができまして、第8代のポーカー新人王になりました、(アマチュア)ポーカープレイヤーの「たにかつ」です。
私が今回、新人王になれたのは、まあはっきり言ってツイてただけなのですが、それでも、私がポーカーを始めてから、多くの方に教えていただいて、機会をいただいて、また、仲間とともに切磋琢磨することによってできたことであることにも変わりが無いので、そんな仲間や、指導してくださった方々、同卓してくださった方やポーカーバー・アミューズメントカジノ、大会の運営の方々、ディーラーさんなどへの感謝を込めて、一つの区切りとして、ポーカーを始めたきっかけとか、印象に残っていることなど、新人王になるまでのことについて書いてみたいと思います。
まず、私がポーカーを始めたきっかけなのですが、鹿児島には「kagoshimaniax」という、鹿児島の情報に特化したサイトがあり、
そこで、鹿児島の繁華街「天文館」にあるアミューズメントポーカーバー「TRUMP」さんについて書かれた記事を読んで、面白そうだなあ、やってみたい、と思ったのがきっかけでした。
元々、私は麻雀もパチンコも、競馬や競艇も好きで、どちらかというと、確率や期待値の考え方が好きで、だからこの、ポーカーっちゅうのも、どちらかといえば向いてるのかもしれないなあなどと考えつつ、でも、生来負けず嫌いなので、すぐにTRUMPさんにうかがうことはせず、しばらくはyoutubeでポーカーについての動画や配信を見たり、本を読んで勉強する、といったことをしておりました。
ポーカー関係の本たち。今からすると、少し古い戦略や考え方もあるような気もするので、今だったらうまい人のNOTEを読んだりとかでも十分な気もするけど、自分が本が好きなのもあって、それから、ポーカー理論や戦略がどのように進化してきたのか、その歴史(というか推移)を学ぶことも大事だと思うので、読んで損はないと思っています。今でも読み返すことがあります。
で、数か月経ってから、ようやく天文館「TRUMP」さんで、ポーカーデビュー。勉強してきたおかげか、TRUMPさんに行くようになって2回目のトーナメントで入賞することができ、デビューを飾ることができました。とはいえ、やはりそれはビギナーズラック的なところがあったのだと思います。ハウストーナメントで戦う相手は、私より経験もあり、私よりも勉強している人がほとんどです。なんとかたまに入賞することはあるものの、なかなか優勝できない日が続きました。
ある時、TRUMPさんでのハウストーナメントのブレイク時に、喫煙所で先輩ポーカープレイヤーの方たちと話をしていて、私のことではないのですが、その先輩が(冗談っぽい言い方ではあったのですが)「こちとら、何十万ハンドもやってるんだから、そのへんのやつらには負けない」とおっしゃっていて、なるほど、勉強もスポーツなどの競技も、上達するには練習の仕方があって、練習の量と質、もちろん、そのどちらも大事なんだけど、自分にはまだまだ圧倒的に量が足りない、と考えて、それからますますますポーカーの魅力に取りつかれて、本を読んだり、学んだことをとにかく試してみたり、上級者とのスキル差を埋めるために、圧倒的な量をこなすための日々が続くのでした。
と、ここで、自分のことについて少しだけ書いてみたいと思います。少しだけと言いながら、長くなるような気もするのですがとりあえず。
私は、現在、特定非営利活動法人ルネスかごしまという団体の代表をやっています。団体については、
このあたりをご覧いただければと思うのですが、えーっと、「困りごとを抱える人と、これからのことを一緒に考える」ということをテーマに、居場所づくり(「ひだまりカフェ」)をしたり、DV被害や家族からの虐待を受けた人のケアや、暮らすことのできるシェルターを運営したり、相談を受けたり訪問をしたり、生活困窮だったり精神的な疾患があったりする人とこれからのことを考えたり、支援者向けの「伴走型支援者養成講座」というのを定期的に開催したりしています。
突然、緊急の対応が必要な方からの電話やメール・SNSのメッセージなどが入ることもあり、団体設立から7年になりますが、はっきりした休みは無いところです。ひだまりカフェとか年間200日以上やってるしな。
決まった休みは無いんですが、逆に言うと私は、一般のサラリーマンの方々や、家族などを養わないといけない立場の人たちとは異なり、自分の時間やお金を、自分でマネジメントできる立場にあります。ひだまりカフェ中にmホールデムやってても、めったに怒られないしな(ひだまりカフェは、誰かを傷つけない限り何をやってもいいところなので、代表がmホールデムをやっていることもあります。よくあります)。
これって、ポーカープレイヤーとしては、とても恵まれたことで。もちろん、自分の置かれた環境というのは、ある程度は自分で選ぶことができるわけではありますが、そうもいかない人たちがたくさんいることも事実で。
もちろん、時間やお金のことだけでなく、鹿児島TRUMPさんにお越しになる色んなプレイヤーさんたちのおかげで、自分が成長できている実感があるので、そのような環境に今自分がいることは、とても恵まれたことだなあと、日々思っています。
団体や活動のことについてはNOTEにもいくらか書いているので、もし興味がある方がいらっしゃればお読みくださいませ。
さて、ポーカーの話に戻ります。
座学をして実践もし、圧倒的と言えるかどうかはわからないけど量もこなして、TRUMPさんでおこなわれるハウストーナメントでも、ときおり優勝できるようになってきました。ちょっとは実力もついてきたのかな。そう考えてしまうと、その実力を全国規模の大きな大会で試したくなるのも人情でしょう(たぶん)。
ということで、2022年の後半には、大阪でおこなわれた「JAPANGOLDDRAGON」の「DRAGONFESTA」に参加しました。ちょうどTRUMPさんでサテライトも開催してくださっていたので、何枚かのチケットを持って。
結果から言うと惨敗でした。
緊張もあったと思うのですが、これまでやってきたことがまるでできない、あるいは、まるで通用しない。
焼けて焼けて、20万ぐらいエントリー費に使ったんじゃないかなあ。その時点でもうダメよね。それにすら気がつかないほどの大惨敗でした。
鹿児島から一緒に行った仲間がサイドトーナメントで優勝して、そのトロフィーを見ることを拒むほどの(「俺は自分で取るからいい、見ない」と言って)惨敗でした。
それでも、鹿児島に帰ってからもTRUMPさんには通い(余談ですが、このころ、TRUMPさんのスタッフからは「常務」と呼ばれていました。常に居るから、まあ「常務」だよね)、やはり先輩ポーカープレイヤーのtomorikoさんとたばこを吸っている時に「たにかつさんは、わざわざこんなこと言わなくても、勉強をやめない人だと思うけど、それでも、どうしても、何をやっても勝てない時も来ると思う。それでも、勉強を続けていれば、必ずまた勝てるようになる時が来る。もっともっと、ポーカーが面白くなる時が来る。だから、勉強することをやめないでほしい」と言ってくださったことがあって、内心「辞めないし」と思ってはいましたが、それでも、成果のなかなか出ない時など、ポーカーがつらくなった時に、この言葉があったから、なんとか勉強することをやめないでいることができたのかなあと、今になっては思います。
そんなtomorikoさんは、JOPTなどで何度か入賞しているプレイヤーさんだったのですが、2024年1月のJOPTサイドトーナメントで見事優勝。TRUMP初となるJOPTのトロフィーを持って帰ってきてくださいました。
初めての大きな大会である「DRAGONFESTA」では大惨敗だったものの、私は挑戦することを諦めませんでした。2023年にも「DRAGONFESTA」に参戦。この年は福岡のポーカーバー「CRownCLown」さんの周年イベントにも遠征、WPTTOKYO、広島でおこなわれた「XPT」にも参戦、山口県岩国市のポーカーバー「VISIT」さんの大会にもお邪魔いたしました。
このころから、大会会場で「Twitter(X)で見ました・見てます」と言われることも増えてきて、テーブルでも同卓した方とプレイについて話したり、「どこから来られたんですか?」と声をかけることができるようになったり、落ち着いて、自然に、自分のプレイができるようになってきて、WPTTOKYOではDAY2進出、2024年1月におこなわれた「DRAGONFESTA」のMINIDRAGON(サイドトーナメント)ではFT進出(7位入賞)ができました。
私のポーカー環境を語る際に、切り離すことができないのは、鹿児島・天文館にあるポーカーバー「TRUMP」さんとオーナーの「macoto」さんです。
macotoさんは、2021年にTRUMPのオーナーになり、私と同年代(ちょっと下だけど)で、年齢が行ってからポーカーを始めたという点でも私と同じで、ポーカーにかける情熱や、鹿児島のポーカー界を盛り上げたいという気持ちがとても強く、鹿児島のポーカープレイヤーが、強く、楽しく、ポーカーができる環境を作ることに専心しておられ、ポーカーコミュニティ「TRUMPs」や「Jokers」の設立、そこでの定期的な勉強会の開催、鉄強を招いての勉強会の開催、さらには、うちの団体に対して、チャリティーポーカーイベントを開催してくださり、その売り上げを寄付してくださるなど、もうなんというか、足を向けては寝られないぐらいお世話になっているのですが、今回、なんとか私の初めてのトロフィーを持ち帰ることができて、ともに鹿児島のポーカーシーンを盛り上げる仲間として、少しは貢献できたかな、などと思うのです。
2023年11月に開催されたチャリティーポーカーイベントの模様。
話は前後しますが、2023年は、ポーカーの勉強のやり方も変わった時期でした。
本を読み、動画を見て、また、それらを通じて、自分で考える勉強を教えてくださったのは、前述のmacotoさんがTRUMPで開催してくれた勉強会に来てくださった(はるばる僻地である鹿児島まで)、Amuさん、中村多聞さん、それから、TRUMPさんと同じく天文館にあるアミューズメントカジノバー「BLOW」さんにゲストに来てくださった みさわさんからはBLOWでおこなわれたトーナメントの商品としてオンライントレーニングをしてくださり、これらで学んだことをもとに、私の勉強が「量から質」に転化するきっかけをくださいました。量も減ってないけど。教えていただいたことが、今も役に立っているし、これからもいろんな場面で役に立つだろうなという実感があります。クオリティの高い勉強は裏切らない。
鹿児島に遊びに来てくださったインフルエンサーの方々にも、今でも全国規模の大会の会場でお会いすると気軽に声をかけてくださったりしていて、本当に、すごい人は腰も低くてすごいなと、毎回思います。
堀内正人さん、杉浦大毅さん、椿彩奈さん、その節はありがとうございました。また、会場でお会いした時はよろしくお願いします。よろしければ、鹿児島にもまたおいでください。
5000字も書いたのに、まだ、新人王戦のDAY1にもたどり着いてないけど大丈夫?
えーっと、大丈夫かどうかはわかりませんが、それじゃあそろそろ新人王戦の話始めますか。「このぐらいの情熱を持って仕事の原稿も書けばいいのに」。
2023年に続いて、2024年も鹿児島で(やはりTRUMPさんで)ポーカー新人王戦のDAY1を開催してくださることになりました。2023年は、もう覚えてないけど出てないってことはDAY1通過できなかったんだろうなあ。ともあれ、2024年2月3日と11日の2回。余談ですが、天文館TRUMPさんにいらっしゃる(そしてトーナメントに出る)方も、私が通いだした当初よりも若い方が多くなってきて、意欲のある、だから、全国規模の大きな大会に出たい、という方が増えてきました。その中で勝つのは結構大変。私は、なんとか初回の、2月3日におこなわれたDAY1Aを勝ち抜くことができ、2月24日に東京は新宿の「カジスタ東京」でおこなわれるDAY2に進出することができました。鹿児島から東京に行くとなると飛行機やホテルを予約しないといけなくて、期日が近づくほどにそういうのは高くなるから、早く決まると助かるんだよね、お金の面で。
2月23日のお昼の飛行機を予約して、宿は新宿区役所前のカプセルホテルを予約。DAY2は24日(土)だけなんだけど、遅くまで勝ち残るとその日には帰れなくなるので、帰りの便は25日(日)に。
そんなこんなしていると、Twitterで、2月23日と25日にAPTチャレンジ東京というイベントがあり、リツイートすると1万円分の参加権利が当たるというキャンペーンがあり、リツイートしたところ当たってしまうことに。ということで、23日のAPTチャレンジ東京DAY1は錦糸町の「ダブルポット」さんで参加することに。
それでは、行ってきまーす。
成田空港を経て、錦糸町「ダブルポット」さんに到着。
えーっと、テーブルに着いて3ハンドで飛びました。TT<AA。大迫半端ないって。
早く飛んだら新宿のアミューズにでも行って、トナメ出れたら出よう、とか考えてましたが、明日の新人王戦DAY2が11時からと(ポーカープレイヤーにとっては)早いので、この日はおとなしく寝ることにしました。
でも錦糸町と新宿で麺は食べた。
気を取り直して24日(土)新人王戦DAY2当日。歩いて西武新宿線新宿駅からほど近い「カジスタ東京」さんに到着。
最初のテーブルは2つお隣に座っていた方が福岡から来られている方で、とても上手な方だったのでお話しながらプレイ。私の右と左の方が来ておられなくて(おきばけ状態になってた)、ブラインドが落ちてるもんだから、無理にそれを守ろうとしていろんなハンドで入っては、CB打たれて降りるってことをしていたせいで、チップがどんどん少なくなってしまったので、もう人のブラインドを守ることはやめて、スターティングハンドを絞るようにしてからはなんとかチップを増やすことができて、ファーストブレイクは80BB持ちで迎える。わりと熱い。
再開後、テーブルブレイクとなり、新しく着いたテーブルにたくさんチップを持ったアグレッシブなプレイヤーが何名かおり、参加しては大きめのCBに降ろされるということが何度かあり、セカンドブレイクを迎えるころには、自分のチップがだいぶ減ってしまい。つらい。
セカンドブレイク後、転機が訪れる。
最初のテーブルでも2つ隣に座っておられた福岡の方との4ベットポット。
KK>AKで大きめのポットを獲得。ボードがTJJなんとかで、全部入りきる形にはならなかったけど。
それから、後にファイナルテーブルでもあたることになる、れいさんとも激突。BBでミドルポジションのれいさんのオープンに、AJoでコール。フロップでAが落ちてトップペアグッドキッカー。フロップCBにコール。この時点で、この後も打たれても、全部コールしなきゃいけないなと思ってました。覚悟を決めた。ターンでボードに8がペアって、引き続きCBを打たれ苦しいながらもコール。リバーはラグ。れいさんから少し小さめのベット。8を持たれていたり(アグレッサー側には少ないと思うんだけど)、私が持つJよりも大きなキッカーを持たれていたら負けてしまう。それは、この私の新人王が、ほぼ終わることを意味する。長めに考えましたが、もうフロップの時点で腹は括っていたので、最後はほぼ気合だけでコール。れいさんのハンドはA5oで、大きなポットを獲得することができ、上位戦線に生き残ることができたのでした。
気がつけば残りの人数は40人を切り、別会場である赤坂で戦うメンバーが合流することになり、長めのディナーブレイク。残っていた人にはマイセンのカツサンドが出ました。
赤坂のメンバーと合流してからも、ブラインドの上昇について行けないショートスタックがどんどん飛んでいき、ほどなくして残り30人。インマネ(インザプライズ・入賞)決定。鹿児島から一緒に参加したメンバーも、私を含めて3人が入賞することができました。
入賞決定後も、チップが少ない人が飛んでいく展開となり残り2テーブル。ここでショートのミドルポジションからオープンレイズ。私はBBでハンドはTT。これはもうしょうがないかとオールイン。オープンレイザーがコール、出てきたハンドは88。「よし」と思うのもつかの間。フロップで8が落ちる。ターンはラグ。私の逆転のアウツは2枚。そしてリバーでTが落ちて逆転。これで、全体でも2~3位のチップ量となり、そのままFT(ファイナルテーブル)へ。
ファイナルテーブルはRFID(持っているハンドが視聴者に見える形)でのyoutube配信があり、詳しくはそちらを見ていただくのが楽(私が)なのですが、見ていただければわかる通り、なんというか、ついてました。AA>A5。99>AA。鹿児島の仲間も、鹿児島で配信を見てくださっていたようで、たくさんの応援コメントもいただきました。
最後は、さっきFT前にだいぶチップを減らしたはずのれいさんが、私とは別のテーブルになったとたんにショートからオールイン4連勝などあり大復活からのヘッズアップ。れいさんは、同卓していた時もFTでも、オープンレイザーに有利なフロップでのポット(あるいはポットオーバー)ベット、モノトーンボードでの20%CBなど、いやあ、とても勉強しているなあということがわかるプレイ内容で、手ごわい相手だよなあ、あの時、とどめを刺しておけば良かったなあなどと思っていると、私のハンドはA7o、オープンにれいさんからFTでは少なかったスリーベット。降りることはないにしても、コールなのかミニマム4ベットなのか。いや、どうせコミットするんだから4ベットはないだろ。スタック(持っているチップ量)は僅差で私の方が上。負けてるところもいっぱいあるけど勝ってるところもいっぱいある。ヘッズアップだからいろんなハンドで3ベット打てるし、でも優勝の掛かるこの場面でライトな3ベットが打てる人だろうか。いろんなことを考えて、出した結論はオールイン。相手のハンドはAQs。あ、やべえ終わった。
フロップでランナーランナーストレートとフラッシュのドローが付く。でもまだ圧倒的に負けてる。ターンでダイヤの6が落ちる。これで私のハンドはダイヤのフラッシュドローに、オープンエンドストレートドローのモンスタードローに昇格。最後のカードがダイヤか4・9、あるいは現物の7なら勝利。そして、リバーカードは9スペード。劇的なストレートにて、第8回の新人王決定戦は幕を閉じ、私が第8代の新人王になることができたのでした。
FT配信の模様は、こちらから見ることができます。
さて、こうして私は、とにかくついてたおかげで、晴れて第8代のポーカー新人王に輝くことができました。ここまで来るのには、すでに挙げたポーカー仲間のみなさんは元より、色んなポーカーバーや大会会場で同卓してくださった方々、教えてくれる仲間、大会やお店を運営してくださる方々、それらのどれ一つも無かったら、成し遂げることができなかったものだと思っています。あらためて、みなさんに感謝を。本当にありがとうございます。
優勝して、日高屋で祝杯(杯はラーメン)。
ポーカー新人王になって、これからのこと
ポーカーを始めて1年半。ようやくタイトルをひとつ獲ることができました。もちろん、ポーカーを始めてから数か月で、タイトルを取ることができる人もいることは現実ですが、私よりも長く真剣にポーカーと向き合っている人でも、まだタイトルを取ることができないでいる人もたくさんいることも現実です。
それを思えば、1年半で1つタイトルを取ることができた自分というのは、本当に恵まれていると思います。
ポーカーと真剣に向き合う仲間がいて、勉強する時間やお金があって、もちろん、遠征費を出すのは簡単ではないけど、年に何回かは遠征に行くこともできる。
そんな環境に今自分がいることは、幸運以外のなにものでもないなと思います。
新人王になって、いくつかの具体的なものをいただきました。
トロフィー、肩書(実績)、年末におこなわれる予定のポーカー麒麟児戦の参加資格、やはり年末におこなわれる予定のポーカーフェスティバルDAY1への参加権利。そして、国内外のポーカー大会への参加をする際の遠征費・エントリー費の補助(100万円分)。
みなさんも、100万円分の遠征費補助の使い道について、気になる方もおられるのではないかと思いますので、そのことについて書きたいと思います。
まず、私がなぜポーカーをするのか(続けるのか)というと、実は、私が持つ能力を活かして、お金を稼ぐのに、ポーカーが適しているのではないかと思っていることがあります。もちろん、ポーカーは好きだけど、趣味として楽しむのには(少なくとも)私にはその余裕はありません。稼げる(少なくともその可能性はある)と思った、だから始めたし続けている、これが正直な思いです。実際に、稼げるようになるかどうかとは別の話として。
この文章の、わりと最初の方に書いたのですが、私は今、困っている人を支える活動をしていて、そのためにはお金が必要です。DV被害を受けた方や、(一時的に)家が無い人を保護するためのシェルターを運営していますが、国や県、市町村などからの補助は一切受けていないので、シェルターの家賃や水光熱費は、私や団体が別の形で稼いだお金を使って維持しているのが現状です。多くの方から、継続的な寄付や、一時的なご寄付をいただいてもいるので、全部が全部、自分での持ち出しというわけではありませんが、シェルターの家賃や水光熱費の、大部分を自腹でまかなっています。
現在、6世帯7人の方を保護しておりますが、「入居させてほしい」という連絡は常にあって、部屋が足りないので、心苦しくもお断りせざるを得ないこともよくあります(もちろん、鹿児島にある別のシェルター運営者に連絡をして、なんとか確保してもらうこともあります)。
それでもなお、まさに今この瞬間にも、同居する家族や配偶者などから暴力や虐待を受け、苦しんでいる人もたくさんいます。その人たちをなんとか保護し、今後の人生をより良いものしていけるようなお手伝いをさせていただいていますし、今後も続けていかないといけないと思っています。
そのためには、どうしてもお金が必要です。
もちろん、どこかの企業なりに勤めて、そのお金で活動を続ける方もおられますし、それができる方もいらっしゃるでしょう。でもほら、私がそもそも社会的には不適合者だし、朝起きれないし、通勤渋滞運転するのとか無理だし、だからね、私はポーカーで、稼げるようにならないといけないの。稼げないとわかった時にはすっぱり辞めないといけないの。続けるためにも、強くならないといけないの。
そうしてまた、私が強くなるためには、私のホームグラウンドである鹿児島のポーカー界が盛り上がる必要がある。競技人口が増えてすそ野が広がれば、当然頂点は高くなる。つまり、私がポーカー強くなるためには、もっと多くの人が(鹿児島で)ポーカーに参加してくれるようになって、その中でも、強い人がたくさん出てきて、全国や世界で活躍する人に、たくさん出てきてほしいのです。
なので、新人王戦を獲得していただいた、遠征費の半分は、自分が強くなるために、自分の遠征費として使います。そして、残りの半分は、これから、鹿児島のポーカー界を背負って立つであろう、若い人たちの遠征費に使おうと思います(もちろん、新人王でいただいた遠征補助費は、私あてにいただいたものなので、私しか使えないものなのですが、私は今回新人王を取れなかったとしても、元々、自費で今後も遠征するつもりで、その費用は確保できるようにしているので、つまりは自分の遠征費として使うはずだった自分のお金が浮くので、その分を若い人の遠征費として出します、ということです)。
これは、鹿児島に限った話ではないと思うのですが、地方でポーカーするって大変なんですよ。もちろん、自分の地元でだけポーカーしていたら、そんなに困ることも無いんだろうけど、やっぱり、東京や大阪、うらやましいもん、大きな大会がたくさんあって、強い人もたくさんいて、いろんな経験を積むことができる環境。
私も、東京や大阪の大きな大会に参加して、色んな人や強い人のプレーや雰囲気を肌で感じて吸収して、(私が、始めた当初よりも強くなっているとすればですが)強くなれたのは大きな大会に出た、その経験があったからだと思うのです。
ところが、法定最低賃金の全国最下位常連の鹿児島では、仮に、夢や希望や、能力と情熱がある若い人が出てきたとしても、おいそれと遠征に行けない、遠征費が高くて断念する、ということも普通にあります。そうして、ポーカーから(一時的でも)離れてしまう人を、この1年半でも見てきました。
もっと、若くて熱意があり、強くなりたいと願う人が、もっと簡単に県外に遠征に行けるようにするためにはどうしたらいいか。
そんなの、今回たまたま恵まれて新人王になり、遠征費補助を獲得した、私が出すのがいいじゃんね。
じゃあ誰に出すのか、これはなかなか難しい問題なんだけど、トーナメントとか開いてっていうのも考えたんだけど、それだと、お金持ってる人が勝っちゃう可能性もあるからねえ。実力がある人が行った方がいいから、その方法も悪い方法ではないんだろうけど。
近いところでは、GWの「JOPT」(東京)とか、6月に予定されている「DRAGONFESTA」(大阪)になると思うんだけど、それまでに、「遠征費を出してもらいたい」という人の、その人のポーカーにかける熱意とか、能力とか将来性とか、そういうのを見て判断しようかなと思っています。50万なんて、たくさん出したらすぐに無くなっちゃうのでね、継続して補助を出していくためにはステーキング制度とかも考えないといけないし、仮にそうするとしたら、割合とかは話し合わないといけないと思うので、いずれにせよ面談というか、「出してほしい」と思う人とは話をしないといけないと思うので、えーと、「我こそは」という方は、直接でもいいし電話やメール、DMでもいいので、直接私に連絡をいただければと思います。
まずはさ、一緒にJOPT行こうよ。
そしてその経験を、鹿児島のポーカー界に還元してください。
お問い合わせ・ご応募、お待ちしています。
たにかつ(第8代ポーカー新人王)
https://twitter.com/tanikatsu1
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