変わり続ける在り方と行く路

人は誰しも何処に辿り着くかわからず 只々黙々と山坂や田野をはたまた谷底に陥ることもありながら 意味も無く また意味をかたちづくりながら路やら道なき道をただ駆けめぐる存在なのかもしれない。

そのなかの道中で出逢う人や景色や体験を心に刻みながら、、、最終目的地すらわからず 彷徨う者 尋ねる者 意気軒昂に歩を進める者 ただ黙々と行く者 様々な在り方を晒しながら、、、そして道行に様々な思い出を積み重ねながら、、、

人生という様々な道行を往くなかで 自身が意識する拠り所は常に何処に辿り着けるか云々の方向性を意識するのではなく 道中を如何に在るべきかに
焦点を合わせている気がしてならない。それは立ち居振る舞いやら仕草から言動 発言 物言いそして生き方にまつわる思考 発想 考え方のようなものまで一貫して刺し貫く原理 原則なようなものを、、、。

その一貫として貫く原理 原則を常に希求し 尋ね そして日常に反映させる。日々の在り方が常々 変化し変わり続けるものであり 状況次第ではどのような対応もあり得るなか 自身の在り方の拠り所のようなものを常 形成し 探求している。

それはスタイルと呼ばれるものであり 類義語で言えば流儀と呼ばれるものである。スタイルは 状況次第では真逆の対応をとることもあり得るかたちが定まっている確固としたものではなく 流動的で捉え所のない生き様にまつわる無定型な原理 原則である。

例えば 薩摩の武士道においては 勇武 清廉 爽快という流儀を重んじ 人としての在り方を明快に定義している。 弱いものいじめなど言語道断で 明朗闊達なスマートで 人としての潔さに最重要な価値を重んじる、、、また孔子は 智勇仁を徳目にあげ人は忠恕のみと断じている。日常で求めるべきは経験から導きだされた智慧であり 人として踏みとどまる勇気であり すべからく寛容で優しさと共にある姿勢であると そして真心で接し おもいやり いくつしみの心でいることを、、、。

過去から連綿と繋がる人としての姿勢から 箸の持ち上げから息の吸い方にいたる日常の所作 仕草に求めるスタイルの重要性を、、、自らに求める規範意識が 日常を生きるうえでの 重要な要になりうると、、、。在り方という統合された価値次元は規範された諸々の意識の集約であり 自身に求める規範意識がその人らしさをかたち造るものになる。

言うなれば 日常のクリエイティブな側面 例えば活動的な趣味や仕事の進め方 他者との対話などを成り立たせる基礎 基盤としての守りの要素として規範意識が存在している。スタイルは自らが世に立つ立脚点のようなものである。

この世を往くうえで 確かな歩を進めるうえでも 往く先々での瞬間 瞬間をより思い出深くするためにも 在り方を求め 尋ね 更新していき またとない生というものを享受していきたい。

いいなと思ったら応援しよう!