見出し画像

金子みすゞが読んだ詩集にある「神の田圃って?」

大正14年に、西條八十、北原白秋、野口雨情、小川未明、竹久夢二、島崎藤村etc…錚々たる顔ぶれで童謡詩人会が発足。

そして会の編纂で『日本童謡集1925年版』を出版。

大正7年に鈴木三重吉が創刊した『赤い鳥』をきっかけに童謡の大ブームが巻き起こり玉石混交となったことから、真の価値を問い直す研究をと白秋の序にあります。

みすゞはその頃、八十が仏蘭西へ留学してしまい、代わりの選者には詩を選んでもらえなくなっていました。

そのため、独りの修行でしょう。好きな詩を書き写す『琅玕集』というMy詩集を編んでいて。

『日本童謡集1925年版』からも4編、『琅玕集』に採っています。

みすゞが4編採ったうちの1つ、柳沢健の詩


美しさに感動して久し振りに号泣

その『日本童謡集1925年版』の詩に、【神の田圃】というのが出てきて【信州の仙境】とありました。

藤森秀夫という人の詩です。


神の田圃は信州の辺境!とな

【神の田圃】って、どこのことかご存知ですか?

ググったら、栂池自然園の近くに本当にあってびっくりしました。

みすゞが読んだ詩集だから、ちゃんと読んでみようと頁を繰ったら何と…

私も知りませんでした。

神の田圃って、なんか凄いですよね!

日本童謡集1926年版

ちなみに翌年、大正15年、八十の推挙によりみすゞも童謡詩人会に入会を許され…

『日本童謡集1926年版』に『大漁』と『お魚』が載りました。

これって、投稿した詩が選ばれて雑誌に載るのとはワケが違う。

弱冠23歳で、錚々たる詩人たちと肩を並べたのです。

でも、これが金子みすゞのピークだったかも。

この年の2月、八十はフランス留学から帰国したけれど、2年に及ぶ不在は、みすゞにとって取返しのつかない痛手でした。

みすゞは、八十が帰国した頃に結婚、11月に出産。結婚に反対していた弟に、みすゞ夫妻は振り回され、とても詩どころではなく、投稿も半年止まってしまっていました。

みすゞの弟といえば…


ろくでもない男との結婚に反対して姉を守った正義漢というのが、世間一般の見方でしょう。

あの方が本にそう書いたので。

しかし、私には全く違う人物に見えている。

金子みすゞの伝記執筆、ちょうど今そのあたりを書いています。

いいなと思ったら応援しよう!