How might we?問題への対処法[後編]
みなさん、デザイン思考でイノベーティブなサービスをどんどん作り出していますか?Tangityで研修関連を担当しております大坪五郎と申します。
前回は「なぜHow might we?で皆がつまづくのだろう」といった問題意識からその理由について考察したところでおしまい。一旦の結論は
というわけで今回は「焦点を定めると言われても、まだよくわからない」という問題に対して解決方法を考えていきます。
「何」を焦点にするのか?
現在の状況が好ましくないとしましょう。具体的には
「お父さんが子供の中学受験のあれこれでうんざりしている」
これは現在の状態を示しています。
さてどうしよう。やっぱりお父さんがHappyになってほしいよね。お父さんだって幸せになる権利があるはずだ。(そうですよね?)というわけで
How might we ?の例:
どうしたら子供の中学受験でうんざりしているお父さんが
中学受験に対して前向きに取り組めるようになるだろうか?
こういうHow might we ?を作ることがあります。しかし次のステップとして
「それではHow might we ?で定義した問題を解決するソリューションのアイディア出しをしましょう」
となった段階ではたと気が付く。このHow might we ?は解決の方向性を絞るという点で全然役に立っていないではないか。
なぜなのでしょう?「焦点と方向性」という考えにのっとって「子供の中学受験でうんざりしているお父さん」と十分に焦点を絞ったにも関わらず。
はて、としばらく頭を絞ることしばらく。ようやく次の悟りに辿り着きました。
How might we?で焦点をあてるのは、「現在の状況」そのものではなく、「現在の状況」を引き起こしている「原因(問題)」に対してでなければならない。
これは考えれば当然の話です。現在の状況を改善しようと思えば、その原因をなんとかしなければならない。お父さんの肩を叩いて
「なにくよくよしてるんだ!笑えよ!」
と言っても何の解決にもなっていない。
なので
行うべきは
「お父さんが子供の中学受験でうんざりしている原因」
を推定、あるいは調査すること。公立中学にいくのがあたりまえの環境に育ったので、中学受験という概念自体嫌っているのか?私立中学高校に行かせるとすると学費が心配なのか(稼ぎが少ないから..ずきっ)?子供を中学受験用の塾に行かせると、勉強だけの生活になってしまうのが心配なのか?
どの問題に焦点を当てるかによって、案出するソリューションは全く異なります。あるいは上記の複数の原因の背後に共通する問題が存在するのか。だとすればそれは何なのか。このように根源にある問題まで遡ると表面化している複数の問題を一挙に解決できる可能性がある。任天堂の宮本氏の言葉を引用します。
こう考えてくると、How might we?というのが難しく、そして正しく考えることができれば大変Powerfulな概念だということがわかってもらえると思います。
しかしながら
「普通のデザイン思考」ではこのHow might we?をどのように設定するかについてロクな説明をしていない。いくつか例を挙げ「さあ、やってみましょう!」でおしまいにしている。
しかも
そうした問題が長年放置されているように見えます。どんな方法論にも問題は存在する。ならば問題の原因を考え、改善していけばよい、というのは「作って、フィードバックを得て改良」というデザイン思考の基本的な原則の一つのはず。ではなぜ「デザイン思考」は「デザイン思考」のままで進歩をしないのか?
その原因について考えるといろいろ興味深い仮説に辿り着くのですが、それはまた別の機会に。
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