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中国点描#10 上海・南京旅行記(後編)

こんにちは。糖葫芦です。
今回は、上海・南京旅行の後編・南京編をお届けします。

前編はこちらから↑

*今回は少し記事の内容が重め、かつセンシティブなものになります。あらかじめご了承ください。

1. 第一天

1. 侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館

 江蘇省の省都、南京。中国南部の中心地であり、「三国志」の孫呉をはじめとする六朝や南宋、太平天国などこの地に築かれた政権の首都になることも多数ありました。

そして、南京は日本人にとっても因縁浅からぬ都市の一つでもあります。

南京事件…日中戦争当時、中華民国の首都であったこの都市を侵略した旧日本軍が、南京市民を多数虐殺したとされる事件。

いまだに、その被害の大小、あるいは一部ではその存在の是非をめぐり、激しい論争がなされている、日中両国の「歴史認識問題」の重要な論点の一つとなっている事件でもあります。

縁あって中国に関わりを持つことになった日本人として、是が非でも中国における南京事件の受け止められ方について知っておきたい、という思いは渡航する前からずっと抱いていました。
ということで、その南京事件について伝える記念館
「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」に行くことに。

上海から高速鉄道に乗り、1時間ほどで南京に到着。
記念館は南京駅からタクシーでおおよそ20分ほどの場所にあります。

チケット売り場(ちなみに入場無料です)

 モノトーンを基調とした建物は(写真だとわかりづらいですが)かなり大きく、敷地も相当な広さ。

 受付から記念館の建物に入るまでの庭には虐殺から逃れる人々をモチーフとした銅像が多く配置され、さらに目に留まるのはあちこちにある「30万」の数字。中国政府が南京事件での被害者数を30万であると主張していることの表れであると思われます。

殺害された子供を抱き抱える親をかたどったと思われる像
ここ以外にも「30万」という数字が多く書かれていました。

 館内に入ると、出迎えるのは南京大屠杀史实展(南京大虐殺の史実展)の文字。写真を見てもらうとわかりますが、館内の掲示には全て中国語・英語に加えて日本語の掲示も記してあります(ちなみに館内の撮影はフラッシュを焚かなければOKです)。

館内入り口にある「南京大虐殺史実展」の文字

館内の壁も、外観と同じくほぼ黒か灰色。照明も少なく、通夜のような沈んだ、厳かな空間のなかを進んでいきます。

展示内容は、戦争に至るまでの過程、日本軍が中国で行った蛮行の数々、東京裁判から戦後日中関係の回復における南京事件に対する両国の見解の相違など。
日本軍将校同士が「どちらが多くの中国人を殺せるか」競ったいわゆる「100人斬り」を伝える日本の新聞、日本軍により梟首された中国人の写真、婦女子への性的暴行の証拠。そして無造作に葬られた夥しい数の人骨の発掘現場(現場をそのまま保存したそう)…目を背けたくなるような写真や記述が多く展示されていました。

虐殺された中国人の遺骨の発掘現場

展示を見て個人的に気付いたことを簡単にまとめると、

・記述内容自体は思ったよりも抑制的。 
 わかりにくい表現ですが、展示内容そのものは日本軍の非道を批判しながらも、日本への復讐心を過度に煽るような内容ではなく、あくまで表面的な記述を見た限りでは全体的に「歴史を忘れず、平和な世の中を築こう」というコンセプトで作られていました。
個人的には「日本を決して許すな」のようなメッセージがあるかと思っていたのでその点は意外に感じました。

・他の博物館を圧倒する規模・敷地・展示内容
記述内容そのものが比較的抑制的な一方で、建物も敷地も展示物の多さも他の博物館とは比べ物にならないほど大規模になっており、しかも入場無料。明らかに力を入れて作られていることがわかります。内容そのものは抑制的なものでありつつも、この”力を入れて作っている”こと自体が、中国がこの事件を風化させない、ひいては日本に忘れさせない、という姿勢の表れとなっている可能性が高いです。

・客層が幅広い
こちらも行く前とのイメージのギャップですが、ファミリー層や老夫婦、若いカップルまで老若男女様々な人が訪れていました。まるで一般的な観光地のようです。
もちろん中国人が全体的に愛国心が強いという点はあるかと思いますが、てっきりここにくるような人は保守層だったり、特に日本に恨みがある、愛国心が強いような人ばかりだと思っていたので、この点も意外に感じました。

正直な話、結構ショッキングな写真や展示内容も多く、見ていてしんどくなりました。ただ、できれば南京を訪れる機会があるならば、日本人には見て頂きたい場所です。展示内容が全て本当かどうかはわかりませんが、少なくとも中国人が南京事件に対して抱いている認識を知る上では欠かせない場所であることは確かです。

2.南京大学

さて、博物館の展示内容に打ちひしがれながらも、次に向かったのは南京大学。キャンパスには入れないので、外にあるギフトショップでお買い物。
南京大学のスクールカラーは紫(ちなみに北京大学は赤です)、僕はバッジやクリアファイルを購入、友人は「南京大学」ステッカーを購入しノーパソに貼り付けてました(一体何大学所属なんだ…)。

南京大学の正門。キャンパスには学生証がないと入れません。


そして夜はレストランでディナー。
ハイライトは「南京烤鸭」。いわば南京ダック。
北京ダックが焼いているのに対して、こちらは煮ているのがポイント。味付けが非常に美味しく、なんと三回もおかわりしてしまい店員さんに怪訝な顔をされる始末でした。

南京ダック!!

2. 第二天

2.1 南京総統府

さて、旅行最終日そして南京最後の日。南京総統府に向かいます。

南京総督府の正面

 南京総統府は、南京が首都であった中華民国時代に設置された官舎です。
清王朝末期に生じた宗教組織、太平天国の首魁である洪秀全も同地に天王府を置いていました。
 その後、孫文や蒋介石ら中華民国のトップが用いる官舎となったほか、日本軍が南京を落とすと汪兆銘政権もここに置かれました。

“天下为公”は孫文の言葉です。
内部には庭園も広がっており、落ち着いた雰囲気に。

どちらかといえば国民党に縁の深い場所なのですが、きちんと整備されています。孫文の執務室や中国の近現代史の展示がされており、北京大学在学中に前期で取った「中国外交関係史」という授業で習った内容の良い復習になりました。

2.2 明孝陵・孫権の墓

さて南京で最後に訪れるは中山陵ならびに明孝陵、前者は近代中国の父である孫文(孫中山)の、後者は明の初代皇帝である朱元璋の墓です。

ただし、僕のお目当てはどちらかといえば中山陵の区画の中にある「孫権の墓」。何かと魏や蜀の影に隠れがちな孫権ですが、彼とて三国の一角を担った孫呉を興した人物です。

というわけで孫権の墓(本当?)とその近くにある東呉大帝孫権記念館に。
少しこじんまりとした作りで、基本的には赤壁の戦いのお話ばかり。

赤壁の戦いとは、江南(現在の中国東南部)を治めていた孫権が、荊州(今の湖北・湖南省)の江夏というところに駐屯していた劉備と同盟を組み、中国北部を制圧していた大勢力、曹操の軍勢を打ち破った戦いです。

ハリウッド映画「レッドクリフ」のもととなった戦いであり、小説「三国演義」でも、曹操率いる100万の軍勢を、劉備の軍師・諸葛亮と孫権の軍師・周瑜が大規模な火計で焼き払い、寡兵ながらも逆転勝利を収めるという物語の大きな山場となっています。

孫権はこの戦いに勝利したことで地歩を保ち、劉備の蜀、曹操の魏に対抗して天下に覇を唱えることになる…のですが…

小説「三国演義」では、主人公を劉備、悪役を曹操としてその二人の対決を軸に物語が綴られます。
当然、諸葛亮をはじめとしてその両国の関係者にばかりスポットが当てられるため、赤壁の戦い以降、物語の後半からは孫権は時々思い出したように話題に上がる程度の存在に。

というわけか、のちに訪問した魏の本拠地である許昌や、蜀の本拠地である成都に比べると、南京における呉の存在感はかなり薄くなっています。
まあ、前者2都市と違い南京は三国時代以降も何かと歴史の表舞台に立つことが多かったため、相対的に「孫呉の都」というイメージが薄くなってしまったというのもあるでしょう。

呉の大帝・孫権の像です。近くには墓石があります。
孫権の墓。本当にここなんでしょうか…
明王朝の創始者、朱元璋の墓。

その後、同じ敷地内にある明孝陵にも足を運びます。
元王朝末期の混乱に乗じ、貧民から徒手空拳で皇帝にまで成り上がった男、洪武帝こと朱元璋とその妻馬皇后の墓です。

明の都は当初南京にあったため、朱元璋の墓もこの地に建てられました(北京に遷都したのは朱元璋の死後)。

これまた敷地は広大であり、結局途中で時間がなくなり、踵を返して駅に向かうことになりました。

これにて全ての旅程が終了、旅路を終え帰宅の途につきます。
7人という大所帯でしたが、十分楽しむことができました。

次回はおそらく、私が帰国前に巡った4都市の旅行記をお届けすることになるかと思います!
乞うご期待!

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