中国点描#12 帰国前一人旅① 許昌・開封
こんにちは糖葫芦です。
さて、今回からは(本当に)予告通り、帰国前一人旅の旅行記になります!
(前回予告詐欺してしまいましたが…)
改めてご説明すると、帰国前一人旅の期間はおよそ1週間、許昌、開封、西安、そして成都の4都市を巡り、最後は成都の空港から香港でトランジットして日本に到着という旅程です。
というわけで早速、今回は許昌と開封の旅行記をお届けします。
1.許昌
最初の目的地は河南省にある許昌。河南省にはすでに2月に洛陽、5月に安陽と二回訪れています。河南省は古来「中原」と呼ばれた古代中国の中心地。
中国古代史好きの私にとっては必然的に何度も訪れることになってしまうのです。
今回訪れた「許昌」は三国志好きには知らぬ人のいない、曹操の拠点にして後漢王朝最後の都。
「三国志」の時代、当初中国は、後漢王朝が統一していました。
そんな後漢が衰退し、群雄が割拠する乱世へとなっていくわけですが、その中で後漢がもともと都としていた洛陽も荒廃してしまいます。
そこで、時の実力者である曹操は自らの本拠地である許昌に後漢の皇帝を迎え、”許都”と改称して後漢王朝の首都に定めます。
というわけで、今回のお目当てはそんな三国時代の面影を伝える許昌の三国志スポット「曹魏古城」になります。
実は経費削減のために夜行列車で行ったため圧倒的寝不足。というわけでホテルに着くなりしばらく仮眠をとり、お昼からの散策スタート。
ちなみに、夜行列車に乗っている途中、中国人の大家族と思しき方々と相席に。
日本人バレしてしまったために約1時間弱「日本では1937年戦争について教えてないんだろ?」とか日中戦争絡みの質問責めにあってしまいました…大変だった。
1.1 曹魏古城 曹丞相府
曹魏古城は街一つ分くらいの大きさで、その中全てが中国の古い街並みのような景観になっており、いくつかの観光地が点在しています。
城壁のような門をくぐり抜けると、まさにタイムスリップしたが如くです。
そんな街並みを歩きつつ、最初の目的地である曹丞相府へと向かいます。
曹丞相府は後漢の丞相(今でいう総理大臣)となっていた曹操の執務室。要は首相官邸です。
門をくぐるとデカデカと曹操の銅像。さらに奥に入ると、曹操の功績や家臣団について記した展示が並んでいました。
暑い日だからか人影は少なく、混雑に苦しめられることなく展示を満喫します。
ちなみにせっかく曹操の官邸に来たということで、三国演義の名シーン
「曹操に暇乞いをする関羽」
のモノマネをやってみました。
関羽も三国志の武将で、もともとは曹操と対立する劉備の家臣。しかし、主人である劉備が曹操に敗北して行方知らずになった際、関羽は一時期だけ曹操のもとにいたことがありました。
しかし、忠義に篤い関羽は、もとの主人である劉備の消息が分かると、彼のもとに向かうべく、曹操に別れを告げにいきます。
関羽を手放したくない曹操は、「義理堅い関羽は、自分に直接会って別れを伝えなければ去ることは出来まい」と考え、関羽が訪れると幾度となく居留守を使い、ついに関羽はやむなく門前で別れを告げ、曹操のもとから去ろうとするというシーンです。
1.2 曹魏古城 春秋楼
続いての目的地は春秋楼。先のエピソードの時、関羽が曹操の庇護のもと、許昌に住んでいた時期の邸宅だそう。
春秋は孔子が記したとされる儒教の経典で、関羽が愛読していたためにその邸宅跡が春秋楼という名前になったとのことです。
建物はざっと3階建。吹き抜けの構造になっており、中央にはどでかい関羽の銅像が。関羽は神として祀られているため、中国各地に銅像が置いてあるのですが、ここまで大きいのは初めて見ました。
洛陽にある関羽の首塚に建てられた関林廟の関羽像ですらここまで大きくはありませんでした。
さて、春秋楼を巡った後は、かなり暑かったこともあって一旦ホテルに戻って休憩。日が落ちるのを待ってから、再び夕食も兼ねて出かけていきます。
すると、昼間は暑さのせいもあって閑散としていたのが、夜は夜市が開かれていて結構賑わっていました。
その日は軽く夜道をぶらついて、ご飯を食べて就寝。
翌朝朝イチの電車に乗って、次の目的地開封に向かいます。
2.開封
開封は、三国時代より800年ほど降った、11世紀の北宋の都。高校で世界史を選択した人は聞いたことがあるのではないでしょうか。
度重なる異民族の侵略に悩まされるなど、何かと軟弱なイメージのある北宋時代ですが、商業や交易が盛んとなったほか、初めて「国家予算」という概念ができるなど経済的に発展した王朝です。
開封でのお目当ては清明上河园というテーマパークと、市の郊外でみることができる黄河です。
2.1 清明上河园
清明上河园は、宋代の開封の街並みを再現しようという試みで作られたテーマパーク。
オリジナルの開放の街並みは、黄河の洪水で全て押し流され夢のまた夢。
ですが、北宋末期の画家・張択端なる人物が、賑わっていた頃の開封を絵巻にとどめており、これをもとに開封の街並みを再現したそうです。
入場料は60元(1200円)ほど。敷地はかなり広く、王宮をはじめ清明上河図で描かれた建物が原作通りに再現されており、世界観もきちんと作り込まれています。
同時代史料をもとに作られただけあって、宋代にタイムスリップしたような気分を味わうことができます。
定刻ごとに演劇も上映されており、私がみたのは金(北宋と対立していた異民族の王朝)の攻撃から開封を守る北宋軍の英姿を描いた「大宋 东京保卫战(東京防衛戦)」という劇でした。
東京防衛線というタイトルだけ見たら日本の映画と言われても違和感がないですが、実はこの”東京”というのは開封の別名です。
火薬を使った大砲が打ち込まれる演出があるなどド派手な劇でしたが、BGMが10年くらい前の三国志のドラマで使用されたものの流用だったのがちょっと引っ掛かりました(著作権、いいのか?)
ついでに、北宋時代の開封の城壁跡も見てきました。
先述したように、北宋時代の開封は洪水に飲まれてしまったのですが、一部だけは発掘調査で出てきているとのこと。
現在も、清明上河園の近くに遺構が残されています(ちなみに、遺構の近くには今でも立派な城壁が残っているのですが、これは明代に建てられたものだそうです)。
2.2 黄河
少し駆け足ながら、続いて黄河が見える埠頭に向かいます。
黄河。
長江と並ぶ二大河川であり、中華文明を育んだ母なる大河。
開封中心部にある清明上河园からタクシーで30分ほど走った場所に埠頭があり、車を降りたらおばちゃんがお出迎え。馬に乗ってくか?と言われたので突然の乗馬体験が始まります。
馬で行くこと10分ほどして川岸に到着。川幅はかなり広く、「黄河」というだけあって土や水の色も黄色。
この黄河が毎年氾濫することで、肥沃な土壌を中華文明にもたらしてきました。
さて、ちょっと困ったのが黄河からの帰り。こういう郊外の観光地あるあるなのが「タクシーが捕まらない」。基本中国のタクシーはアプリを使えば呼び出せるのですが、こういう郊外の観光地は行くのが大変なため、呼んでも全く来てくれない。タイトな旅程を組んでしまったために、次の目的地に向かう高鉄の発車時刻まであまり猶予がなく、さらに携帯の充電も、充電池の充電もギリギリという本格的にやばい状況に追い込まれることになりました。
このままだと駅まで11キロマラソンコースか…と覚悟を決めていたその時、幸い近くを淘汰タクシーに拾ってもらいことなきを得ました。本来10元くらいの距離に、言い値で70元払っちゃいましたが全く問題ない。それぐらいありがたかったです。
ちなみに言うと、中国暮らしに慣れ気が抜けていたこともあり、今回の旅行は全体的にこういうトラブルが多めです。
なんとか駅に辿り着き、次の目的地である西安に向かいます。実は西安に到着してからも一悶着あるのですが、それは次回、西安編でお話しします。