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私の起業日記

私が何もかもに自信を失っていた時に、私に何でも出来る、そして今からでも出来ると勇気付けてくれた人がいた。
その人の存在無しには今の私は存在しない。
あの頃の私はもう旬の過ぎた人目にもつかず、そして何をしようとしても発想さえ浮かばないようなただのおばさんでしかなくなってしまっていたから。

加齢と職場での年齢に対してのハラスメント、女性であるということでの職場でのハラスメントに私の世代は皆、この年代になると同じように自分の価値なんて考えられない状態に追い詰められるのだと思う。
私はその頃、そんな日々を過ごしていた。

そして、丁度その頃、娘が私をイタリア🇮🇹に誘ってくれた。気乗りのしない私に旅行代金も全て出してくれてイタリア2週間の旅へ連れ出してくれたのだ。

その偶然とも言える2つの事が今の私のスタートとなるとは思ってもいなかった。

勇気づけてくれた人がいくら励ましてくれても私はなかなか本来の自分を取り戻すことはできなかった。
一度どん底まで自信を失った私は、なかなか海の底から海面まで息をするために上がって来れない。そんな感じだった。
輝いていた日々も、いつも何かを考え出していた頭も働かなくなり覇気もなく、ただただ生活のために働く日々。。

君はなんでも出来ると言われても、信用できないのだ。

そう言う中で行ったイタリア。

どう見てもおじいさんがバイクの後ろにカッコいいおばあさんを乗せて走ってる!若い人もブランド品や服を着てるわけではないのにオシャレで自然体で、そして何より笑顔で

オリジナル商品を置いているお店も多く、見て歩くだけでも心が晴れ渡って行く。
勿論、旅行の開放感もあっただろう。

それにしても、イタリアという国のなんと素晴らしいことか。
美術館であっても大概の美術品の写真も撮れれば手の振れそうな場所まで近づくこともできる。
いや、この国自体が大きな歴史の美術館のような国。

夜、食事に出かけると皆ゆったりと会話とお酒と食事を楽しむ。頼んだ料理がなかなか来ないなんて言ってソワソワしてるのは私たちくらい。
時間の流れが違うのだ。

そんな日々を2週間過ごすうちに、私に変化が訪れた。帰ったら何をしよう。何か出来そうな気がする。

いや、何かをしたいのだ。

長年私が心の中に仕舞い込んできた
何かが今こそできる時が来たのだ

気持ちはそんな風に変わっていた。

素晴らしいクラフトの品々のたくさんあるフィレンツェの街。革製品も多いが、日本にショップのあるブランドのお店とかではなく、街角に沢山あるショップに個性豊かなカラーやデザインのお店が山ほどある。

それぞれの街にある教会は恐らく歴史的にもかなり価値のあるもので一つ一つの彫刻でありステンドグラスも長い歴史の中を生き抜いてきたものでありながら今は更に風合いを変え輝いている。
私もかくありたい。

そう思った時に私の脳裏に浮かんだものがあった。
それこそ、闇夜に光る星のように、陰影の中に浮かぶように現れたものは茶室の中に一つ鮮やかに色を放つ和菓子だった。

紅の寒椿

ああ、こんなものを作りたいんだ。

帰国後にすることが決まった瞬間だった。

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