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立ち現れるわたしと線
先日、新宿あたりを歩いたときに猛烈にこの世界の終焉のようなものを感じた。新しいビルが立ち並び、それでも建て続けている未完成のビル、量販店の集合体、溢れ続けるものたち、消費消費消費、安価安価安価、知名度、高級ブランド、おそろしい数の人間たちがこの街に何を求めてやってくるんだろう。と考えたときに震災後に感じた都会の安心感とは誰も自分のことを知らないという前提でリセットされたり、空虚なままでも埋め尽くされる圧倒的物量、そしてもしかしたらこの「終末感」すら、自分自身が傷んでしまったときには「安心感」として感じてしまうのかもしれない。
開発しなければ良かった、昔が良かった、などというつもりはない。A Iが可能にしたアクセシビリティは圧倒的に生きやすさにつながるはずだ。だからこそ自分自身を感じ、考え、話す相手も拡がって、智慧すら世界中と共有できる「時代」にはなったはず、という前提を信じて次の世界を生きなくちゃと思う。いまだからこそ本当に自分にとって必要な情報を得るコミュニティがあることはとても重要だと感じている。オンラインはそれを可能にした。しかしながら自分の「手」を動かし、五感というものが機能しているのかどうか、については昔よりはだいぶ鈍感になっているのではないか、とも思う。
かつて心理学のある授業で、脳が肥大化した人間の図を見たことがある。足は劣化し、指先がタブレットを扱いやすいように進化していたような奇妙な絵。風刺的ではあったが、笑えなかった。常に心配事で頭をいっぱいにし、首をもたげ、画面を見る目だけが爛々としている。その方向に進化するのだけはごめんだ、と思った。
体験会で書いているときに、わたしは書いている人の姿を見るのがとても心地いい。みんながある程度、夢中になると、それまで話していたはずなのにとてもしんと静寂が現れる。最初は何を書こうか迷っていたり、こんなの面白いんだろうかと疑っていても、手を動かし続けるうちに白い紙と黒い筆とただただ向き合っているだけで一人の世界に入っていく。感性を動かし、自分にしか書けないものを書き、自分にしか感じられないものがあることを感じ尽くす。そこに「他者」というものは入り込みようがない。
孤独というものとの戦いのために、誰かとつながったり同調したりすることだけを強いられると、そこにはすでに安心感がなく不安からのスタートになる。「安心感」などというものは居場所があればいい、というものではなく、誰かに気に入られたり評価されたりすることではなく、「わたしがわたしでいてもいい」と感じたときに立ち現れるのだと思う。そういった意味で、わたしは「自己肯定感」とか「安心感」などというものをあまり重視していない。(今目の前にあなたが存在しているという事実で十分である)
不思議な縁で出会うことになっていた2月の体験会だった。循環する関係、新しいつながり、一つの線が深みを増す瞬間に立ち会えていることに感謝しつつ、来月もまた誰かと出会うことを楽しみにしております。
はみだすラボすみあそび体験会はこちらから。
https://peatix.com/event/4305119
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※はみだすラボとは
朱紅が提唱する「すみあそび™︎」を用いた、感情の解放と観察のワークショップと対話で、「フリーランス教育者」として世の中にはみだす大人が元気に活躍することをエンパワメントするオンラインサークルです。現在、メンバーは9名。現役教員、福祉職、アーティスト、伝統を守る職業、ホームスクーラーの保護者、自分の人生DIYをしているさまざまなメンバーがいます。ぜひ関心のある方は体験会にお越しください。