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11月展示会のご案内 3人展 『イシキノタネ』

みなさん、こんにちは。

只今、タネノスでは、影山キヲ✖️高木有規✖️ミカンセイ 3人展『イシキノタネ』を開催しております。

3人が創り出す、異なる世界の調和をお楽しみください。



【影山キヲ】

『雲に座る色の記憶』


物憂げな視線の女性たち。
鉛筆によるデッサン画になります。

鉛筆という線で描かれた彼女たちの「そこに居る」質感や体温、たしかな重さを感じさせます。
息遣いが聞こえて来そう。

『時と風の交差点』


そして人物がメインであったとしても、
わたしは余白が美しいと感じました。
彼女たちの青い硬さがそのまま滲んだ余白は、
冷たく澄んだ硬さを感じます。
ガラスのコップの縁を叩いた時の、硬質で透明な響きを想像しました。

『柔らかな予感』

シンプルにシンプルに、彼女たち以外の物が削ぎ落とされ、触れているものや座っている所は見えていません。
しかしそれは存在しないのではなく、必要がないから描かれていないのでしょう。
見えていないと存在しない、のは全く違う。

描かれていない部分に、想像を掻き立てる。
絵の前に立ち眺める人の、その想像を含めての作品なのだと感じました。

『透明な花』


【高木有規】

『砂の廃墟』『片隅に見る』『boarder』


グッと雰囲気が変わり、立体作品になります。
石を彫り木材を組み合わせ、自然素材を中心に用いた作品になります。

石を彫り、貼り付け、組み合わせ、素材が導くままに手を動かし続ける。
だからでしょうか、高木さんの作品は「あーんな事もこーんな事も、色々伝えたい!」と、とってもお喋りの様に感じます。

『イシキノタネ』『breasts』


子供の頃、道端で見つけた石が何かの形に見え(魚とか昆虫とか)それに近づけようと色を塗ったり、何かを貼り付けたりした事を思い出しました。
木の枝を刺すのも大好きでした!

スケールや完成度に差があったり、大人ゆえの複雑さがあったとしても、足元の小さな自然にインスピレーションを受けるのは何十年経っても変わらない、と改めて納得しました。

作家が選ぶのではなく、自然に呼ばれて「気持ちの赴くまま使ってみて!」と誘われているのを、作者がキャッチしているのかも。

そんな作品の中に、ふと厳しいものを感じる欠片を見る事があります。
それは作者が受け取る、自然からのメッセージそのものだからでしょうか。

『coral teat』



【ミカンセイ】

『Dawn』


ファンタジーの物語の様な鉛筆画の3点は、始まりから終わりまた始まる、廻る時間の流れを表現しています。

『Return』


人はどこから来て、どこへ行く。
何かのキャッチフレーズみたいですが、誰でも1度は考えた事があるのではないでしょうか。

姿を記憶を魂ですら変えながら、遠く遥か遠くまで続く旅路を辿り続ける。
決して見る事の出来ない終着点を目指して。
今はその旅の途中。

以前読んだ、本の1シーンを思い出しました。
『1粒の針葉樹の種が成長し、大木となり、川の流れにさらわれ、海を流れ、遠い地に辿り着き…果てしない旅は原野の家の薪ストーブで終わりを迎える…
しかし物語は終わらず、燃え尽き煙となった針葉樹は、大気と混ざり、また新たな旅に出掛ける』

誰にでも、各々の物語があって旅がある。
静かにけれどもしっかりと目の前の道を進もう。
そうすれば何処かに辿り着けるかもしれない。
その先が小さくても希望なら、嬉しい。
そんな気分になりました。

『Eternal』


作家は、野菜や果物(実)=『真実』として表現しています。

見ただけではどんな芽が出てどんな花が咲いて、どんな実が成るのか分からないですよね。
同じ様な外見の種だったとしても、そこから芽吹いた物(=真実)は全く違う物だったりする。
また、同じ種類の種であったとしても、全く同じ形のモノは育ちません。
世の中に真実は多数存在し、違った方向から見れば、またそれも真実になります。
自分の真実と違ったから、と嘆く必要はない。

その真実(異なる答え)の全てを楽しめる様な、思考と心を持ちたいと願います。

『truth 4』 『truth 5』


作家たちの今回の展示会タイトル『イシキノタネ』の世界が広がっています。
意識の外側=見えない物触れられない物。だからこそ、重要な物・素敵な物が隠れている。

3人共全く違う様で、実は同じ事を教えてくれている。そんな展示会です。
是非、お越し頂きお楽しみ頂ければ、幸いです。

影山キヲ✖️高木有規✖️ミカンセイ 
3人展 『イシキノタネ』

11月1日(金)〜11月28日(木)まで

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