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男に認めてもらいたい自分
読み返したらやっぱりただの沼にハマった人じゃん…と、書いたことを後悔しつつ、それでも「自分の中の男」がどうしても気になって頭から離れない。
すると中の男がヒントをくれた。
補修工事中の我が家。先週タイヤ交換をしていたら現場監督・・・30代後半から40代頭くらい・・・が通りかかりに作業中の私を見て「自分でやるんスね!」と言っていった。
おっしゃー!
どうだ、すごいだろ!
こんな言葉に心が支配されハッとする。
・・・?
すごいと思われたいのか?私は。
去年の今頃、整備士の資格を持っていたアノ人にタイヤ交換の様子をタイムラプス撮って送ったことが昨日の事のように蘇った。
あの時もすごいと思われたかったんだろうか。すごいと言ってほしかったんだろうか。
そういえば「女なのにすげー」って言われると気分がよかった。
「男勝り」という言葉が大好きだった。
そんなことを考えていたら芋づる式に過去のことを思い出す。さらにそうゆう時は気持ちが大抵「オラオラ系」になることと、自分の年齢と割と近い男性に対して勝手にライバル視しがち…と分かってきた。
すごいでしょ、という気持ちが強い。
すごいと思われたい。
女なのにすげぇ、と言われたい。
排気量4000ccを超える昭和時代のランクルに乗っていた時があった。マニュアルで、ウインチもついてた。タイヤ交換も自分でしてた。
あんなゴツい車から155センチのちびっ子が降りてくるこのギャップ。
周りの女の子はほとんどが軽自動車に乗る中「どうだ、すごいだろ」の
オラオラ雰囲気全開だった。
男の人にすごいと言われたい。
なんでだろ。
対等に見てほしい?
…認めてほしい??
おやー?
キタよ!!これだ!
私は男の人に認めてほしいんだ。
そんなことを思っていたとは!!
けど、何故?
もしかしたら小さい頃弟のほうがなにか得をしているように思えたのかもしれない。
もしくは時代的に、第一子の私は女じゃなくて男の子を期待されていたのかもしれない。
だから「男と同様に扱ってほしい」「女扱いしないでほしい」と思うのかもしれない。
真実は分からないけど近い気がする。
でもこれとは別の理由もありそうだ。
あの現場監督との一瞬のやり取りと、去年のタイヤ交換してます動画。同じニオイを感じる。
「男の人に認めてもらいたい」の影にひょっこりと、か弱く幼いワタシが顔を出す。
本当はこんなことやりたくなかったんじゃない?
こんな私を見て、誰かが「守ってやりたい」とか思ってくれたら…とか思ってる??
年齢が近い男性をライバル視…つまりは恋愛対象だ。
こんなことまで一人で頑張ってる私を守ってあげたいって思ってくれる人、どこかにいないかなとか思ってるのだ、きっと。
口が裂けても言えないけど、魂は「誰か私を守ってください!」って叫んでる。
心臓のあたりがくすぐったい。
私は本当はか弱い乙女なんだ…
(ちょっとショック)
男勝りは強さの象徴。
私は弱くない。それを車や格好で周りにアピールしてきた。
私は、強くなければいけなかった。
強くなくても強いフリをしなければいけなかった。長女だから。お姉ちゃんだから。
弱みを見せちゃいけなかった。
でも本当は強くなんかない。
私が弱いなんて、そんなはずがあるわけない、と思うマインドと、心をくすぐって本来の私を思い出させようとしてくれるスピリット。
正直に言えば、誰かの胸で泣きたい。
弱音吐きたい。逃げ出したい。
「私は強くあらねばならない」
実は掘り下げてるとよく出てくるマインドセット。
また突きつけられた。
手放さなきゃいけないんだな。
私は弱い。
弱くても大丈夫。
弱くても私は見放されない。
弱くても私は愛される。
呪文のように唱えてたら少しは手放せるだろーか。
このテーマはまだ根が深そうだ。