家庭の話とラインの黄金
家庭の事情の話をします。
今回は下世話な人生相談のような内容なので、グダグダとしています。
先に申し上げておくと、父は2度の卒倒を経験し約10年前にペースメーカー装着者に。母は数年前に診断が下り、神経系の難病を持っています。2人とも障碍者になり、現在は67歳64歳かな。私に兄弟はいません。
長い話をします。
2019年の夏に海外駐在を終え、上海から帰国した半年後にコロナが始まったが、しばらくして父母の様子を見に実家に帰ろうとした際に父から帰宅を断られるようになった。曰く、感染を避けたいとの弁。最初はムッとしたもののその時は納得した。ただ、その後1年経過して世の中も落ち着いたころ、急に「お前も実家に甘えて結婚していないのはけしからん、もう帰ってこなくてよろしい」との弁だった。実質の絶縁宣言である。
誤解を招かないように説明すると、私は大学卒業後、何一つ実家に金銭的な援助を頼んだ覚えはない。帰省もせいぜい年3回程度で別にベタベタと頼った記憶もないが、彼なりに老境に差し掛かり変化のなさや自分が思い描いた老後の姿にならない責任を私に求めているのだろう。
数年経過し、コロナも落ち着いたころに母に難病の診断がくだった。心臓や肺、脳といった問題ではないが自己免疫が神経を攻撃するため歩行に難がありQOLはかなり下がってしまい、老化も急激に進んでしまった。そんなこんなで絶縁処分も多少曖昧になり、たまに帰省することが叶うようになった。
ただ、先日6月、GWに帰省しなかった事もあり様子見に戻った際に彼から、母もそう長くは無いので亡くなった後はこの家も売るし保有しているアパートも土地も売ってどこかに移り住む予定だ。お前で末代なので何かを遺しても仕方ないので何も相続させるつもりはない、母が亡くなった後は実家に寄り付かないでほしいとの言葉を拝領した。
お話自体は道理だが、別に何か無心している訳でもない人間に唐突にぶつけるのは奇妙だし、母がいる前で死後の話をするのも相変わらずデリカシーのないことだと呆れた。彼は長年、工場の生産管理をしていて購買担当者だった。優位な買い手の立場として、ペコペコするサプライヤー相手に尊大な態度を取ったことを私に自慢するようなこともあり、長年のそうした仕事が買い物依存症のように高額な腕時計や車の購入に走らせたのは否めない。他人の気持ちを推し量らなくても、モノを買う時だけは好意的に丁寧に扱われて気分が良くなるから。(私は逆にモノを売る側の職種なのでそういった心の動きを警戒するようになった)
仮に67歳の彼が日本人男性の平均寿命80歳まで生きるとして、156か月間の生活費はおよそ2,500万~3,000万にもなる。家や土地の売却とトントン。年金は余裕分と考えればそう言うのも道理だと納得している。
口汚く言えば、私もまだ生きてる老人からむしろうとは一切考えていないし、現在の労働で十分以上に資産形成と生計は両立している。(私の友達・友好的なフォロワーは知ってるでしょうけど、困窮してたらLOOK買ったり新車を現金で買わないっしょ、、、)
むしろ援助や介護をしなくて良いと考えればプラスと言ってもいい程だ。ただ、本心で言えばそうは言うても血縁者ではあるし彼が家を売って部屋を借りるにしても保証人や緊急連絡先は必要な訳で、手術を必要とした場合に困るかもしれない。それは私も恥ずかしながら同様なので、別に強いて対立する・疎遠になるメリットは無いと思うのだが。まぁ仕方ない。難病を持っている母の前で売り言葉に買い言葉で口汚く言い返すのも忍びないし、こんな相手でも罵って傷つけるのは悲しくなるので同意を示すだけで済ませた。
どのみち私が地方のナントカ鉄工所や地銀に勤めず、全国転勤のある大手企業に入社した時点で密な関係性維持と堅実なライフプランは困難だったし、それがイヤなら伯父夫妻のようにもう1人2人子供を作っておけば良かったのだ。
さておき。私の実家や前述の地方不動産といった、一般サラリーマンには不釣り合いな資産をなぜ彼が持てたのかというと、それも要するに遺産なのである。私の祖父はとある地方の農協に勤めていて、昭和の時代の地方公務員のブーストによりかなりの資産を作ることが出来た。祖父の死後、遺産を継承した父は一戸建てを買い、相続した地方の空き地にアパートを建て、経費で落とすんだと嬉しそうにベンツを次々に購入し始めた。
もちろん、私の私立の学費も父の給与や祖父の遺産から出ているので、何も言うつもりは無いが、私が末代ルートを辿っている事に絶望してカネだけを抱えて一人で死ぬことを選んだ父は、果たして幸せだったのか?と思う。傍から見ても遺産で遊び惚けて私含め他者に期待せずZero to Dieする人生はどうなんだろうか?と、一日中酒を飲んで部屋でソシャゲをするかゆっくり動画を見ている父の姿を見て思った。
これは言い訳だが、仮に自分が妻子を持ったとして何か変わったのだろうか?実家から離れた地方あるいは海外で働いて生活して、彼からすれば家族一体感は無いし「お前が末代だから俺が使い切る」とまで言っている人間が果たして孫のために喜んで何かを差し出すようなことはあり得るのだろうか。冷血に言えば息子が妻子を持つことで教育費など有形無形の援助を求められることはままある訳で、結果はそう変わらなかったんじゃないかと。
でも、やはり人は関係性で変わるから、俺が絶望を与えたことで変わってしまったのかな?いや昔から性格も口も悪かったしソープも言ってたしスナックの女と繋がりもあったな。
こうして振り返ると(傲慢ではなく統計の話として)私や彼よりもっとお金を持っていない人なんぞ世の中にいくらでもいるが、仲良く助け合ってる家庭はごまんとある。祖父の遺産がもし無かったら。今よりだいぶ狭く不便な実家になっていたかもしれないが、だからこそ世間の冷たい風から互いを思いやれる家族になれたのかな。別に1億2億という大金でもないのにケチで攻撃的な人間になってしまうのは、不幸じゃないかな。人を不幸にするお金、まさにラインの黄金じゃないか。と感じている。
(黄金というにはずいぶん慎ましい額だが)
今後またNoteにまとめていくが、昨今話題になった邦訳の資産形成本の多くがテクニック的な投資の話だけではなく、自分の幸福にはいったいいくら必要なのか、それは心の持ちようで決まる為、餓鬼のように金を欲しても幸福にはなれない。といった説教じみた内容が必ず含まれているが、つまりはそういう事なのだろう。金を追うのは結構だがそのために人生の大半を痛苦に費やすのはバカげているし、よしんば多少得たとしても疑心暗鬼になって他人を見下すようになってはおしまい。品格を損ねたら誰も相手してくれないし、恐らく彼は母が亡くなったら早晩後妻業の女にでも捕まると思う。いいケーススタディになった。はぁ。
あとづけ
それにしても人生、親世代から金にしろ不動産にしろ2,000~3,000万程度の相続があり、退職金として1,500~2,000万くらい受け取ることを前提にして住宅価格や年金額、子供の養育に必要な費用が設定されているような気がする。私は当座の収入はまぁまぁだが、そのどちらも無いし何かトラブルで休職でもしたり失職・療養となったら手に職も無いので生活保護まっしぐらである。うーん、こうなったら誰も転職せず新卒JTCぶらさがりが最適解っしょ。バカバカしい世の中だよ。
しかしもって私も別に諦めきった訳ではないし、誰かと暮らすのもいいかなと思い始めてきた。来年くらいにひょっこり結婚したとして父は手のひらを返して気前よく交流を再開するのだろうか?ありえない。自ら橋を焼いた人間は反省せず相手の恭順だけを望むから。はぁばかばかしい。母はなんとか元気でいてほしいな。。。