政治によって分断される僕ら

お疲れ様です、ターネイです。
友人との会話の中でちょっとヒヤっとする事があり、noteを書くことにしました。立場が異なってくると共感できない事もある、というお話です。


政治とは何か/個人的な経験

政治とは領土や徴税などを含む社会システムを管理し、参加者の利害を調整し、リソースを公平に分配する行為というのが私の理解ですが
※参照リンク 政治 - Wikipedia

ただ、社会において立場の違いから不公平さを感じることはないだろうか?

私の経験ですが、やむを得ない事情により何度か転職を経験している私の従兄弟と会話していた際に、私(当時は新卒からずっと同じ会社)がコロナの在宅勤務をタネにやる気のない話をしていた際、急に「俺にとって業務を全力でやるのは当たり前のことだが君にとっては違うんだね」と息巻かれ面食らった事がある。いまなら分かるが、転職すると立場が弱くなるし、そんな時にプロパーが怠けた事を言ってたら強い立場に胡坐をかいてるように見えてイラつくのも仕方ないだろう。

はたまた先日は妻子持ちの友人と会話していた際に、私の受け取り方が良くないのだが「金利も上がってきているので住宅を今から買うのは不利」「オレももう40歳なのに2人目出来てめでたい事ではあるんだけどかなり遅い事だから~」「生活保護なんて物価スライド出来るか分からんよね」といったお話に内心で(それって俺の行動や判断が遅いから手遅れって言いたいの?イザなにかあっても自己責任って言いたいだけ?)と少しイライラしてしまった。

「それぞれの地獄」で仲良くなれる者はいない

このように、転職者とプロパー、独身者と既婚者、老人と現役世代で確かにそれぞれの人に「それぞれの地獄」があるのだが、誰一人としてお互い大変だね、では収まってない。「アイツの方がトクをしてる、アイツの悲鳴は甘えで自己責任」のほうが勝っている。これは、女性・子供・外国人・障碍者・老人・若者、誰を救うんですか誰が救われるべきなんですか、という選択と公平性の話でもあり、我々はそれに非常に敏感なのだ。
(補足すると、従兄弟は不景気によりリストラの不安を抱えていて、友人は長年のうつ病や長男の成長に不安を抱えている。キツい言葉の裏にはいろいろあるのだ)

別の例を挙げよう。
絶対に忘れません…〈月収10万円〉〈養育費ゼロ円〉33歳のシングルマザー「もう限界…」と生活保護申請も、悔しくて唇を噛むしかなかった「市役所でのひと言」|Infoseekニュース
ダメ夫と離婚し生活苦による生活保護になったシンママの記事、養育費を払わない旦那側に非常に問題があるように私は感じるのだが、コメ欄では別の意見もあった。

離婚は自己責任!
養育費を取れないのも自己責任!

う、うーん、、、厳しい意見に感じるが「ダメ男・ダメ女と結婚して子供まで作ってしまうのは自己責任で、そのツケを国に負担させるのは反対」という意見にあなたは賛成だろうか、反対だろうか。
反対に私のような独身男性は、結婚できなかったのか、あるいは結婚しなかったのだろうか?つまり「結婚をしなかったのだから老後に困るのは自己責任であり生活保護などもってのほか!自分で稼いだ金を全て自分の好きなように使ってきたんでしょ!」なるほど確かに。だが結婚できなかった男だった場合、この罵倒はあまりにも無体ではないだろうか。

あるいは「子持ちの先輩は働き方に”配慮”されているが、独身の自分は子持ち様の抜けた穴のカバーだよね」といった話も、結婚しなかった人の話なのか結婚できなかった人の話なのだろうか。

こうしたそれぞれの立場や属性が異なる事で分かり合えなさがあるのは今に始まった事では無いが、昨今、コロナやら物価高やらで「誰を先に助けるべきなのか」みたいな政治の話が我々の生活に直結することを目にする機会が増えた。曰く、高校無償化に効果はあるのか、曰く、中小企業を救うためにコロナ補助金は本当に正しかったのか、などなど。

それら自体は社会に必要なことだが、誰をどう助けるかを政府が明確に線引きする事で我々自身の価値観も影響されているという事を指摘したい。マスコミの影響もあるだろうが、それ以上に政府が意図的にせよ無意識にせよ、2人産んだらどうなる3人産んだらどうなるか、精神障害2級ならどう3級ならどうなど。ただこれは卵と鶏の話で、共同体幻想や個人化が進んだことで誰にも頼れない私たちが公助を期待して”大きな政府”を希求しているからこそ政治として線引きされ、それがまた断絶や分かり合えなさを産んでいるのかもしれない。余談だが何か困りごとがあると「国が補助してくれないと、何らかの規制が必要だ」とすぐに口にするニュースが多いが、政府の関与度合いを増やすごとに政府組織は大きくなり業務は遅くなり厚生労働省 財務省の権限は大きくなり天下り先が増えることは避けられないと思うんだが、これは本内容の本筋ではない。

地蔵に笠を掛けられるか

こればかりは皆が富まないとどうしようもない気もするが、私個人としてはより超越的な価値観が必要だと思う。「社会に役に立ってなくても詐欺的ビジネスで大金を稼いでたくさん納税している人、詐欺でも犯罪でもないが社会的に悪影響を及ぼしながらいいねとカネの量をSNSでイキッとるヨゴレ、カネも家族もないし清潔感もないが人のために真面目に仕事してる人」←誰が一番尊いと思いますか、明日の社会にいてほしいと思いますか。人間の価値ってカネとかいいねとかなんすか。今まで友達選び恋人選び全部それで決めてきたんすか。みたいな。役に立つか立たないか、優秀かそうでないかで人の価値を断ずる思想の先にあるのはナチスと植松聖じゃないですか。

私が言いたいのは世間の浮き沈みや断絶だなんだと心を荒ませ、美しいマウントや賢いマウントに血道を上げるより、浮世離れして誰とも密に繋がらなくとも「売れ残りの笠を雪にまみれるお地蔵さんに被せてやった」「いじめられてる亀を子供らに小遣いやってまで助けてやった」みたいな童話的な慈悲の心や、「悪い事をすると天が見ている」「こんな事をしたら死んだあと地獄に行く」みたいな宗教的価値観、老子荘子ヘーゲルカントのような哲学思想なんかを大事にしていく事こそ明日の社会を明るくすることなんじゃないかな、と思う。

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