こどもは自由の苦しみを知らないから、自由が欲しい
新宿区で4才から中学生向けのシェア工房をやっています。シェア工房とは、「ここで何をするのかは自分で決めてね」の表現として使っています。
この自由がどんだけ苦しいことなのか、案外大人も知らないことに最近気づきました。自分でも言語化できるようになったのはここ最近です。
引用した「ブルーピリオド」は世界で800万部も売れていて、マンガ大賞2020もとっていて、アニメ化もされているので知っている方も多いと思います。
なんの趣味もない高二の主人公が突如絵を描く喜びに目覚めて、東京芸大に現役合格し、紆余曲折しながら成長していくストーリー。(現在も連載が続いています)
先の引用部分は、東京芸大に受かって、課題の作品に何を作ったら良いのかわからなくなってしまった時の苦しみから出てきた言葉。
絵を描くのが楽しいから芸大受験を決め、マニュアルに沿って受験絵画しか描いていない主人公は、自由になった途端、自分に向き合わないといけなくなります。
自分は作品を作ることで何を表現したいのか?
それは平面なのか立体なのか?
材料は何を使うのか?
山のような選択肢の中から一つ一つ選んで、完成形が見えない不安と恐怖に向き合いながら作品を作らなくてはいけない。
実はうちに来る子どもたちも同じような恐怖や苦しみと戦ってるなあと思っています。小学校低学年くらいまではただただ思いついたことを作っているのが楽しいんですが、
自我が芽生えてくると他の子と自分を比べて「上手に作りたい」「褒められたい」と思い、下手くそだと恥ずかしいと感じる。
どうせ上手くできないなら最初からやらないとなる。
私も小5の時にそう思って大好きだった漫画を描くのをやめたことを思い出します(笑)
だから学校の図工は変わらず好きなんです。テーマも材料も決まっているし、自分の能力を大きく超える課題も出ないから。つまり保護者から見ると「図工はできるのにじゆう工作だとどうしてできないの?」って困ってしまう状態になります。
もちろん「ただ単に作るのが好き」という子や、自由でいることが本当に好きという子もいて、そういう子は好きこそものの上手なれでコツコツやったり、他の子のことを気にしなかったりするので、こういう悩みにハマったりはしません。
でもほんの一握りです。
ではこの状況に大人はどう心のケリをつけたら良いでしょう?
間違いなく言えるのは「この先子育てにおいて、子どもたちは自由を求め続ける」ということ。もう少し大きくなったら反抗期になって「うざい」とか「ママには私の気持ちはわからないよ」とか言われるようになります。試験前くらい勉強頑張ったら良いのにとヤキモキするのをよそに、ずーっとダラダラしていたりします。
思春期だから仕方ないと思いつつも、がっかりしたり腹が立ったりします(苦悩)
その時にどう向き合うかちょっと練習するくらいの気持ちでいるというのはどうでしょうか?どう対応するかはご家庭によっていろんな答えがあると思います。
ひとつ我が家の事例を挙げるならば、面白いことに6年間じゆう工作をやってきた我が子たちは「自由は苦しい」ということを早々に理解して「何か決められたことをやる方がいい」「決められた枠の中のちょっとの自由でいい」と言います。
母のように自由ではなく、堅実に会社員になりたいそうです。そして今就活で「残業なし」「休日出勤なし」「茶髪可」「飲み会なし」「高級とりのエンジニア」会社員になることが理想らしいです。こうしてまた新しい現実の壁にぶち当たっていきます。
子どもが苦しんだり傷ついたりすることを恐れて大人が先回りして楽な道を作るよりは、試練の道に放り込む方が好きなので、こういう状況を見てはニヤニヤしています。
それからもう一つ自由で見過ごされがちなこと、「自由には何もしないという選択ができる」ということについては、今度別に書いてみます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?