幼なじみのこうちゃんと、ヒジャブの女の子たち
年が明けてすぐなのに、クリスマスの話です。
私が小さかった頃
我が家のクリスマスは、アイスケーキについてくるドライアイスに水をかけて煙を出し、「ヒットスタジオ」を意識して、ドライアイスの煙の中で子どもたちが歌を披露する。
という庶民的な発想のパーティを毎年行っていました。
私は3人兄弟。
1番上の姉は
大ファンだった光GENJIの歌を披露し、時代の先を行く年長者の威厳をみせつけ
2番目の兄は
細川たかしの演歌の前奏を口真似して(口を丸くすぼめて手で叩きポンポンっと太鼓の音マネ…分かる方いらっしゃるでしょうか…)成績の悪さをひょうきんさでカバーするキャラを確立させ
3番目の私は
ぞうさんなどの童謡を可愛らしく歌う事で大人にとっての癒やしの存在をアピールする
そんな、どこからどうみても庶民臭しかしないありきたりなクリスマスパーティでした。
ところが!
ある年からここにゲストが加わり、それによって、このほのぼのとしたクリスマスが一変してしまうのです。
近所に住む幼なじみのこうちゃんです。
こうちゃんは一人っ子なので、親同士で話して、ある年から、うちでクリスマスパーティを一緒にやろう!と言う事になったようなのです。
もちろんこうちゃんが来ても、我が家のドライアイスヒットスタジオルールは変わりません。
トリをつとめることになった、こうちゃん。
緊張の面持ちで舞台に(畳に)上がるこうちゃん。
そこでこうちゃんが披露したものとは?!
ひょっとこ
でした。
ハチマキを巻いて、口をとがらせ目を寄せて、股間をクイックイッと動かすあれです!
こうちゃんは衝撃の面白さで我が家を笑いの渦に巻き込んだのです!
ひょっとこは、ヒットスタジオには出てこないし、そもそも歌も歌ってないし、ドライアイスが野焼きの煙に見えてくる始末ですが、こうちゃんの完成度の高いひょっとこ踊りは、我が家に新しいクリスマスの風を吹かせてくれたのです。
さて、クリスマスにひょっとこ?!
の興奮さめやらぬですが、時は経て数年前。
ちょうどクリスマスの時期に我が家にマレーシアから二人の女子高生がホームステイにやってきました。
その子達は、二人とも真っ黒なヒジャブを被り、時間になると部屋にこもってある方角へお祈りするプレイタイムも欠かさずやっていた、敬虔なイスラム教徒でした。
そんな二人を、私たち家族は、
一緒にクリスマスソングで踊ったり歌ったりさせ、
観光地となっていた有名な神社に連れていきました。
彼女たちの帰国を見送った後
綺麗に飾ったクリスマスツリーの前で真っ黒なヒジャブを被った彼女たちの写真を見ながら…
あれ……良かったのかな?
宗教的にタブーじゃなかったのかな…と思ったのです。
もちろん、あなたたちが嫌ならやめようね、とも伝えたし、タブーの食べ物などには配慮しましたが、日本に住んでいるとこういうところは、ちょっと鈍感になるのも事実です。
しかし、本人たちも喜んでいたし、ご両親からもお礼のメッセージも届いたので、ひと安心。
私たちにとって、日本のクリスマスパーティに連れて行くことや、日本の伝統を見せるのは、
彼女たちにたくさんの経験をして欲しかったし、何より来てくれて嬉しいです、という歓迎の証だったので、それが伝わったのかもしれません。
神社では、白むくの花嫁さんも見ました。
韓国ドラマでしか見たことの無かったという、落ち葉をかけあって遊ぶ写真も撮りまくりました。
納豆や梅干しにもチャレンジしました。
(ただ、日本食は苦手で、マレーシアからカップラーメンを持参してして、いそいそと食べる事も多かったなぁ!)
でも、彼女たちにとっては、これまでのクリスマス(クリスマス自体が無いのだけど)とは違う風が吹いたと思います。
幼い私達にとってのこうちゃんのひょっとこのように。
今思うと、あれも、こうちゃんにとっての喜びや感謝の表現だったのかもしれません。
さて
長くなりましたが
これが、私のクリスマスストーリー。
こんな誰もが持っているような、でも、私だけの物語を、私はこのように紡ぎ、表現できる事に、今、喜びを感じています。
これから始まる2020年代。
一人ひとりが、物語を紡げる時代。
自分だけの物語を紡ぎ、それを誰もがいろんな形で表現できる時代。
誰一人として物語を持っていない人はいないし
それを表現できるって、すごく豊かな事。
こうちゃんのひょっとこ話は、たまに喧嘩する実家の家族とも、思い出してはついつい笑顔になってしまう。
マレーシアの子達がクリスマスに作ってくれたストロベリーチョコレートの味は、子どもたちには忘れられない味。
誰かと誰かを笑顔でつなぐ物語が、全ての人に紡げる未来でありますように。