死んだばあちゃんへのイイブン
今年、私の祖母が亡くなりました。
100歳を迎えるのを待つかのように、大往生であの世へ逝きました。
祖母は、実家に住んでいた幼少期には、同じ敷地内に住んでいて、両親は共働きだったので、完全な「ばあちゃん子」だった私。
お葬式では弔辞はお前が読め、と父に任命されました。
私が涙ながらに読み上げたその弔辞です。
ばあちゃん、子どもの頃はいつも一緒にいたね。
ばあちゃんの手首には、いつも輪ゴムがついていて、
ばあちゃんの割烹着のポケットには、いつも何回か使ってるチリ紙が入っていて、
死んだじいちゃんの話をする時いつも涙ぐんで、
小さいばあちゃんが大きい自転車に私を乗せて保育園の送り迎えをしてくれて、
お風呂焚きのついでに焼き芋を焼いてくれたり、
サトウキビをかじってペッと吐きながら一緒に食べたり、
こたつに入ってテレビで志村けんを一緒に見て笑ったり、
たくさんたくさんの時間を過ごしました。
あの頃は、それが当たり前だったけど、大人になった今、ばあちゃんと過ごしたあの時間がどんなに平和で、どんなに有り難くて、どんなに貴重な時間だったのかって分かります。
ばあちゃん、ありがとう。
ゆっくり休んでね。
……お葬式で、
志村けん
って言ってる。
いや、いいのか、いいのかな。
加藤茶の方が、お茶の間感、出たかな。
いや、私の世代的にはやっぱり、志村けんだな。
そんなことより!!!
この弔辞を読んだ後、お葬式に出られなかった従姉妹のお姉ちゃんが、弔電を送っていて、その内容が素晴らしくて、私の弔辞が色褪せたって話ですよ!!
お姉ちゃんは、いつも笑ってるばあちゃんに憧れてて、ばあちゃんみたいなばあちゃんになりたいって。
それはそれは素敵な弔電だったんです。
でもね、うちのばあちゃんは
嫁の悪口を陰ですごい言うし。
畑のすみとか、どこでもおしっこするし。
動物とか全然可愛がらないし。
でも、息子には超甘いし。
ばあちゃんみたいに、なりたいかな……。
と、思うくらい、
とにかく、一緒にいたんです。
栗の皮にさつまいもの蒸したの詰めて、栗だよって、食べさせて騙したりもしました。
そんな騙し騙されの駆け引きもあったんです。
私は、老人をなめてたし
ばあちゃんは、子どもをなめてた。
それでも、ばあちゃんがすごい好きだったんです。
コケて擦り傷だらけで帰ってきたら、梅干しつけろ!って傷口に梅干しを擦込まれて、そっちの方が死ぬと思ったけど、好きだった。
本当は、ダウンタウンの方が面白くなってきたけど、ばあちゃんが笑うから志村けんも見てた。
あんなばあちゃんには、なりたくないし、
尊敬できるところといえば、水洗トイレの水がもったいないって、何回かしてから水を流してたような、エコ精神くらい。
でも、ばあちゃんが好きだから笑って欲しかった。
笑ってもらう事をしていた。
「これは、さつまいもでしたー!」って言った後のばあちゃんの、だまされたー!って笑顔が見たかったから、いたずらした。
あの頃の私とばあちゃんは、平和な生活を送るためのパートナーだったのだと思います。
お互いが、お互いを笑わせるために存在している。
それが、パートナーなんじゃないかな。