型破りな教室~Radical~at前橋2025.2.11
今日は、映画「型破りな教室」を観に行きました。
内容を差し支えない程度に紹介すると、「貧困地区にある小学校に赴任したセルヒオ先生。先輩教員から『初めにこどもをビビらせろ。舐められないようにするには最初が肝心だ。』と。しかし、セルヒオ先生はひょうひょうと担任する6年生と変わった授業を展開いく。どの授業も始まりはこども達の何気ない言葉。それを膨らませていき、学びに昇華する。ユーモアたっぷり。先生は大事なことは教えない。むしろあえてわかりにくく、難解に説明する。こども達は、どんどん夢中になっていく。そんな変わった授業は、他の先生からは奇妙なものを見るような目で見られるが、校長先生だけは、だんだん理解をしてくれるようになる。他の先生から漏洩した学力テストの問題を渡され、学校のために対策授業をするよう迫られるも毅然と断る。どこかと重なるような描写も。『社会がこんなに変化しているのに、学校は100年前のまま。』、ロバが落ちた井戸から生還する話から『君たちもこのロバになれ。必要なものは君たち一人一人がもう持っている。それは、〇〇〇だ!』『何で先生は何でもわかるの?との問いに、『だってオレは、たくさん〇〇してるから。』、名言多数。」
もちろんサクセスストーリーで、めっちゃ感動するのですが、この映画の価値は「教育を否定」し、学校を肯定しているところ。セルヒオ先生の実践は、学校でないとできないものだからです。でも、既存の教育ではできない。
学校が既存の教育から脱却して、本当に意味ですべてのこども達に学びの機会を用意する。富裕層も貧困層も関係なく、学ぶ楽しさを味わい、将来に希望をもつことができるように。言葉だけ聞いていると当たり前のことを言っているようですが、現実の教育の世界は形骸化が進み、100年前の社会を前提にした教育が続いています。その乖離の象徴が不登校34万人であり、こどもの自殺者過去最高であり、選挙の低投票率であり、教育現場の過重労働であり、貧困層の増大であり、少子化であり、30年間給料が上がらないことであり・・・。と。
誰かのせいにしているわけではありません。私は、今、教育を変えないといけないと思っています。遅れれば遅れるほど、取り返しがつかなくなります。文部科学省は変化を推進しています。先日、文科省の主任視学官の話をきいてきましたが、次期指導要領では「総合的な学習の時間がより重要になる。探究だ」と、はっきり言っていました。11月には、ややぼやかしていましたが、この前ははっきり言いきっていました。
私は、行けなかったのですが熊谷市内のある小学校が、総合的な学習の時間の発表会を行ったそうです。聞いた話によると、こども達が目をキラキラさせながら、主体的に取り組んでいたそうです。
まさに、この映画のことも達のようだったのかなと想像します。もっともっと、日常的にそんな学びの姿が見られるといいなと思います。
この「型破りな教室」が「普通の教室」になる日が、日本に、埼玉に、熊谷に訪れる日が来るよう、私も微力ながら力を尽くしたいと思います。
みなさん、ぜひ「型破りな教室」をご覧ください。