地球の取り扱い説明書
人は結論ありきで世の中を回している。
コイツは犯罪者なので絶対悪い奴だ、コイツは顔が気持ち悪いので絶対オタクだ、Vtuberにスパチャしてそう。
人は結論ありきだ、過程は考えない生き物である。
結果と過程、どっちが大事と?問われた時に過程と答える人間は少なくは無いだろう。しかし現実には努力して報われない人間は笑われ、努力せず何となく上手くやれる人間は褒め称えられる。
しかし目に見えるものが結果と言うのならば、地球は上手く回せないものである。
人は地球が太陽の周りを回っているのを知っている。それは目に見えない結論であり、目に見える結果としては太陽は東から登り、西に沈んでいく。なんかおかしいとは思ったことは無いだろうか?
本来ならば地球が回転し私のいる点が太陽に向かい、地球が回転し私のいる点が太陽に背いていくという表現が正しいのにも関わらず、太陽は東から登り西に沈んでいく。
これではまるで天動説の信者であるようではないか?
実際古代の人間は天が動いていると考えていた。だが人間のちっぽけな想像力では地球が世界の限界だと考えていてそれに天が着いてきていると言う主張なのだろう。
だが人間は高度な化学という名の神を作り上げ世界を拡張している。
ぼくたちの頭はちょうど神様と同じ重さ
ほら、二つを正確に測ってごらん
ちがうとすれば、それは
言葉と音のちがいほど
-エミリー・ディキンソン No.632 (1862)
人が作り出した化学は人の重さを超えることは無い。二つの違いは言葉と音の違いである。人は言語を通して他人に伝達する。化学は旋律を奏でるかのように未知の世界を拡張し、それを人間に読み取らせる。
人の世界の限界なんて所詮そんなものである。だからこそ神と共存し外枠から世界を拡張していかないと地球は上手く回っていかないのである。
それでも人は目に見える物を世界の限界として受け取りたくなってしまう。しかし自分の外枠の世界に目を向け疑ってみる事も大切であろう。
それでも自分の世界を信じたいのならばそのpanacheに免じてこの言葉を送ろう。
さあ、受け取れ。この偽りを、真実に変えるのは君だ。
俺は当てもなく、恋だ嘆きだと書き散らかしたが、
彷徨う鳥の留まるのを、君は見ることが出来る人だ。
さあ、取りたまえ、――実(じつ)がないだけ雄弁だと君にも分かる時が来る。
――さあ、取りたまえ!
『シラノ・ド・ベルジュラック』訳;渡辺守章