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令和6年新嘗祭の朝に寄せて
※このとりとめのない文章は、2024年11月23日の朝にふと思い立ってノートに書き付けたものを土台としています。
元々は吟詠化する新作の詩と共に公表する予定でしたが、映画『鹿の国』の鑑賞を機に公開を決意しました。
(『鹿の国』について:https://www.instagram.com/p/DEcI_1LzSB8/?igsh=MXBta3pnaDR4YmR3Yg==)
1.
ヨルシカの新曲『太陽』のMVが公開された翌日、新嘗祭(にいなめさい)の朝にこの文章を書いている。
私がヨルシカのファンになったのはここ2年ほどのことで、ファン歴自体は非常に短い。だが私は、ヨルシカの作り上げる芸術に並々ならぬ信頼を寄せてきたと思う。
拙文を読む前に、まずはYoutubeで『太陽』を聴いていただきたい。『太陽』には、私がこの文章に籠めたい思いの全てがある。
https://youtu.be/Qgj3xHRlGr8?si=36dRJZdadoHlJ7Rf
傍らで『太陽』を流していると、朝9時の太陽が雑然とした部屋に光を灯してくれた。そう、こんなに雑然とした部屋にも太陽は訪れる。
太陽の恩寵の下で私は生き永らえてきた。そして、生が尽きるその日まで、私は太陽を敬慕し続けることだろう。
この時代を生きる全ての人々は、この太陽を見て、生きて、死んでゆく。
過去を生きた全ての人々が、この太陽を見て、生きて、死んでいった。
未来を生きる全ての人々も、この太陽を見て、生きて、死んでいってほしい。
2.
「現在」を繰り返す大きな営みの中で、万物の恵みに感謝する数多(あまた)の祈りが行われてきた。変わらぬ「何か」のうちに過去を見、現在を見、未来を見るのである。そしてこの「何か」がとこしなえに変わらぬように、いつまでも数多の生と死を見届けてくれるように願うのである。
新嘗祭の本質的な精神も、恐らくはこのようなところに求められるのだろう。
太陽の恵みを受けた新穀等を、土・火・水・食物・薪・草の精霊に勧められつつ、天皇御(おん)自らこれを召し上がる。新嘗祭の原型と思しき記述は早くも神武紀中に見える(1)。
新嘗はかつて「ニフナミ」「ニヘナミ」などと称したが、「ニフ」「ニヘ」はいずれも「贄(にえ)」を語根とするという説がある。
陛下が召し上がるものは土・火・水・食物・薪・草の精霊が育てたもので、精霊そのものでもある。そして、その営みの中心には他ならぬ太陽がいらっしゃる。だから陛下が召し上がるものは太陽そのものでもある。
つまり、天皇は、精霊と太陽の「贄」を受けられて、その力と一体化されるのである。
この一体化を何世代も前から、そして何世代も後も、繰り返し繰り返し行ってゆく。
この反復された一体化の中に「ある種の力」、ひいては「天皇霊」の根源が潜んでいるのではないかと私は考えている。
3.
新嘗祭のポイントは、人間が①神々と共に食べること、②神々を食べること、③神々と一体化すること、④この営みを繰り返すこと、にあると思う。
新嘗祭において、①から④のいずれに重点が置かれてきたか(或いは異なる重点が存在するか)は個人的には判然としない。
素人目には、新嘗祭における②の切り口は非常に理に適っていると思う。
『進撃の巨人』において、始祖ユミルの骸(むくろ)を3人の王女(娘)たちが強いて食べさせられたのは、一体化による巨人の力の継承のためであった。
そのようなことをせずとも、わが国における神々と人間との約束は、年毎の新嘗祭を通じて古代から確認され続けてきたのである。
J.G.フレイザー先生が『金枝篇(きんしへん)』で示唆された古代における「王殺し」「神殺し」の発想は、わが国では(少なくともある時代からは)神と一体化した前任者の殺害を意味しなかったように思われる。
古代の人々は、現在の瑞々しい「贄」に籠る霊力を過去と同じ方法で取り込むことで、神々の力が自ずと継承されてゆく仕組みを「発見」したのではないだろうか。
他方で、食物が精霊と太陽そのものである以上、これを頂くことはある種の「神殺し」にほかならない。
保食神(うけもちのかみ)や大宜都比売神(おおげつひめのかみ)は、殺害された後に穀物や蚕をもたらされた(「ゲツ」とは「御饌津(みけつ)」、すなわち食物に通ずる音である)。
実りの前提には神々の犠牲がある。ゆえに感謝と共にその犠牲を受け、これと一体化することで神々の力を継承してゆく。神々は人間の身体の内側でなお生存されるのである。
神々を食べることによる一体化の有効期限は短い。古代の人々は1年間とみた。そこで、1年後の新嘗祭の日に新しい穀物等を頂く。言わば契約の更新である。これにより、神々と人間との約束は永遠に確認され続けてゆく。
血なまぐさいことは大小様々、有形無形の負担を伴うのが常である(『ゴッドファーザー』のバージル・ソロッツォ曰く、「血は高くつく」)。古代の人々は穀物が実る周期に着目し、その周期毎に「直接神々を頂く」ことにより血なまぐさい儀礼を回避してきたのであろう。
現在まで残る新嘗祭の在り方は、殉死から埴輪へ、人身御供から治水へ、という系譜に連なる古代の叡智の一つではなかったか。
先に「神々を食べる」切り口が理に適っていると評した所以(ゆえん)である。
4.
また、天皇が継承される神々の力(前述の③)にも、実に様々な含みがあったと個人的には推測する。
人間は多くの犠牲の上に生かされる存在である。ゆえに1年間の全ての犠牲に対して感謝の念を向けるのが新嘗祭の一側面であった。
支配者として「国見(くにみ)」をする立場(天皇)には、全ての犠牲に対して感謝の念を向ける代表者としての意味も込められていよう。
神々の犠牲(実り)を最初に受け取る「権利」を得た者には、それだけの「責任」が伴うということだ。「責任」の具体的な内容は、神々の犠牲を決して無駄にしないこと、「一体化した神々と共に」生産活動に励むことを誓いつつ、「次の1年も実りを受け取らせてください」と願うことであろう。
ここで神々が拒否することも理論上はあり得た。精霊や太陽から「もはや人間の犠牲にはならない」と通告されたらどうするのか。その場合、天皇は、神々をお相手とする大変難しい交渉の席に着かれる(否、着かれなければならない)のである。
神々と人間との約束は言わば双務契約であった。
神々が一方的に実りをもたらす義務を負うのではない。人間の側も神々に対して一定の義務を負わなければならなかった。その義務とは、健康な身体で日々のつとめに励み、神々への感謝と共に生きていく(寝食を繰り返す)ことではないだろうか。
契約の当事者は天皇だけではない。私たち全員である。私たち全員がこの大きくて古い契約の当事者なのである。
ゆえに私たちは、「いただきます」「ごちそうさまでした」と唱えて食事をする。食事は私たちが自らの義務を履行する力の源となる。
他方で、私たちは精霊と太陽から大切な「贄」を受け取っている。或いは「供犠(くぎ)」を受けている。そのように思えば、食物を粗末にすることなどできるはずがない。食事は紛うことなき朝夕の儀式(仏教風に言えば勤行(ごんぎょう))なのである。
「米」一粒に「八十八」柱の神々が宿るという俗説も、実は故なきことではなかったのである。
私は、このようなごく身近なところにも、新嘗祭の精神と過去・現在・未来を繋ぐ祈りがあると考えている。
5.
太陽の運行は果てしなく続く。太陽は食物を通じて私たちの一部となるが、やがて私たちからも離れてゆく。
太陽は「緩やかな速度で追い抜いてゆく」。
あたかも蝶のように、ゆっくりゆっくりと軽やかに営みを積み重ねてゆく。
何ものにも頓着せず、ただただ営みだけを積み重ねてゆく。
太陽は醜い私を知らない。私の歩んできた日々も、これから歩む日々も、死ぬ日の朝も、「緩やかな速度で追い抜いてゆく」。
己のあまりの小ささに、一抹の寂しさを覚えないといえば嘘になる。
だが、この太陽を古人も見、私も見、未来人も見る。
新嘗祭の精神は、いつまでもどこまでも続いてゆく。
過去も現在も未来も、一筋の見えない糸で繋がっている。
この確信に満ちた祈りが、卑小で儚い「私」という生き物を少しだけ強くしてくれる。
『太陽』を聴いた私は、いつになく晴れやかな心地で今朝の空を眺めている。
6.
『太陽』の概要欄には、「先生」への手紙というべき文章が記されている。この「先生」とは、直接的にはヨルシカとコラボされた永戸鉄也さんのことだろう(『永戸鉄矢 + ヨルシカ「太陽」』のイベントには残念ながら伺えなかった。永戸さんのアートを是非直接拝観したかった)。しかし、視聴者が様々な「先生」を思い浮かべる余地も当然残されていると思う。
この拙い文章も、私からとある先生に語りかける形で終えてゆきたい。その先生とは、国文学者・民俗学者の折口信夫先生である。
折口先生と私の出会いは、まったくの偶然であった。
2023年11月13日頃(ちょうど1年ほど前になる)、図書館のある棚に引き寄せられるようにして向かい、ふと黒い装丁の本に手を伸ばした。その本は遠目には光り輝いているように見えた。その本こそ、かの『折口信夫全集 第1巻』だったのである。
先生は私の心に何かを植えてくださった。私は取り憑かれたように先生の文章を読み漁った。先生の学問はいつしか私の血肉となっていた。
先生は没後70年の時を超えて、現在も文章の上に生き続けていらっしゃった。
以下の手紙の冒頭部分は、『太陽』の概要欄の記述に依拠している。
「先生。今日は良い天気です。
先生に貰った数々の学問上のテーマを日々こねくり回して、何度か書いてはみましたが、どうにも良いものが出来上がらず、こうして日が空いてしまいました。
そんな時に、先生の『古代研究』の「追ひ書き」を読みました。
親身になって教えた数百人の学生の中に一人だって真の追随者ができたか、私の仮説はいつまでも仮説のままで残る、私の誤った論理を正しよい方に育ててくれる学徒がいつになったら出てくれるか、今まで十年の講座生活は遂に私の独り合点として終わりそうな気がする…(2)。
先生はそのようなことを書いていらっしゃいました。胸が塞がる思いがします。
私はどうにも怠惰な気分屋で、頭の出来も決して良い方ではありません。私のような中途半端な人間では、きっと先生の真の追随者にはなり得ないのだと思います。でも私なりに精一杯、色々とやってみたいと思いました。
例えば、先生ご自身が「まれびと」になられて、草枕にご覧になった太陽と同じ太陽を、今朝の私も見ています。私はこのようなところに、民俗学の本質が潜んでいるような気がしてきました。
それでようやく、この文章を書き上げることができました。
「贄」と「天皇霊」は先生のお考えですが、それ以外の箇所もかなり先生の学問の影響を受けています。私には先生の仮説を修正する能力はありませんが、先生の仮説を実践に移すことはできそうな気がしています。
先生の仮説を現代的に再生してゆくこと、それが在野に生きる私の使命だと勝手に思い込んでいます。
少しでも多くの物事をかたちにして私は死んでいきます。そうすれば必ず太陽が、そして太陽の下で育つ未来の人々が、何かしら意味のあるものを見出してくれます。
たとえ独り合点の積み重ねであったとしても、新しい国学を興すという悲願に直結しないとしても、先生は沢山の文章というかたちを残してくださいました。
私は先生に出会えたことにいつも感謝しています。」
書き終えて窓の外を見ると、太陽は大きく西に向かって移動している。
南中の時刻が近づいてきた。
2024年11月23日
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参考文献
(1) 宇治谷孟『日本書紀(上) 全現代語訳』、講談社学術文庫、1988年6月10日、99-100頁
(2) 折口博士記念古代研究所編『折口信夫全集 第三巻 古代研究(民俗學篇2)』、「追ひ書き」(491-518頁)、中央公論社、1966年1月25日、494頁
(3) 折口博士記念古代研究所編『折口信夫全集 第一巻 古代研究(國文學篇)』、中央公論社、1965年11月20日、口絵1頁目を筆者撮影