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しゃぼん玉の記憶

夏の夕方に娘としゃぼん玉で遊ぶ。

そうすると、
子どもの頃の喜びも思い出す。

なぜなんだろう。

子どもはしゃぼん玉が大好き。

それから、中学生や高校生、大学生と、
しゃぼん玉をやった記憶がない。

しゃぼん玉で遊ぶ喜びなんて、
ずーっと忘れている。

しゃぼん玉のことすら、忘れている。

そして、大人になって、
子どもができてみると、
しゃぼん玉のことを思い出す。

娘にしゃぼん玉をやらせたい、と。

喜ぶかな、
なんて思って。

たくさんできたり、
大きいのができたりして喜んでいる姿を見て、
こっちまで嬉しくなる。

よし、パパも上手にできるよー、なんて言ったりして。

空に舞い上がっていくしゃぼん玉を眺める時間というのは、
とっても幸せなのだ。

風に吹かれて、飛んでいって、そして消える。

ゆっくりした中に、喜びも詰まっている。

せっせとしゃぼん玉をつくる娘。

風に舞うしゃぼん玉を眺める自分。


こうして娘としゃぼん玉をしていると、
自分が子どもだった頃を思い出す。

しゃぼん玉をして遊んでいた頃を思い出す。

そしてそこには、おぼろげながら、親の姿もあったりする。

しゃぼん玉をしながらのその時間には、
今の娘と、父親となった自分、
かつて子どもだった自分と、かつての父や母、
そんないくつもの像が重なって浮かんでくる。

公園でしゃぼん玉がたくさん飛んでいるのを眺めるのは、
どこか平和を感じさせるものがある。

そして、その場にいる人が、
しゃぼん玉の行き先をみんなで眺めるのもいい。
みんなが同じ方をむいて、空を眺めて。

そう、空を眺めるというのがいい。

ゆっくりと空を見上げることなんて、
なかなかないからなぁ。

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