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#105 体外受精 「もしもノート」の作り方

2021.9.10

2019年、4年間の不妊治療の末、体外受精で第1子を緊急カイザー。2度の流産を経験しています。

先週末、高校の同級生のお母さんのお通夜にいきました。

コロナ禍での突然の病死。

家族葬。

地元にいる同級生。

7年ぶりの再会。

地元へは車で40分程度なので私は出席を決めました。出席といっても、香典を渡して同級生にお悔やみの一言を伝えたい。ただそれだけ。故人を偲んで高校生時代を懐かしむ。それが供養になると考えます。法事がどうして何年もあるか知っていますか?それは亡くなったことを思い出して悲しみに耽るのではなく、「忘れるための儀式」というのです。(昔何かに書いてあって感銘を受けたw)

「あぁ、亡くなってもう〇年も経っちゃって、悲しいわ。。。」

ではなくて、

「〇年も自分はこうして元気で過ごせている!前を向こう!」ってのが法事なんだって。


話は反れましたが、通夜に行かないと後悔する気がしました。それをずっと自分の中で消化できない気がしました。34歳になって、両親もみんなそれなりに高齢になり、決して他人事じゃない。

行けてよかったと思います。オットにも「こう思うから行こうと思うんだよね、いいかな?」「いいよー」的に話は進み、3人で向かい、娘が泣いたとき一緒に礼拝できるように彼女の服装はシックなものを選び、結果、泣いたので一緒に。

立派に喪主を務めていた同級生にお悔やみの言葉を。言葉少なでいいんですよね。うん、伝わってる。故人は安らかなお顔をされていて、15年以上も前に、同級生宅で夜通しやかましく騒ぎ、勝手に泊まって、朝ごはんを出してもらっていた記憶がよみがえります。お世話になりました。

帰りは清々しい気持ちになりました(清々しいという言葉が不謹慎だったらすみません)


「もしもノート」を作ることにしました。

私が明日亡くなったら、ずぼらなオットはかなり困るでしょう。父方の親戚を特徴と条件でしか記憶できない彼に、年賀欠礼や香典返しができるとは地球一周回っても思いません!!!一周じゃたりない、12周くらい。

私が明日亡くなったら、娘に何が残せるだろう。インスタのアカウントで日々の成長記録をつけていて「ママは私の成長が生きがいだったんだなー」と思ってもらえる(かどうかはわかりませんがwww)のと、預金通帳にあるわずかなお金。あとは、亡くなった後に入る保険金。

でもその保険金もどこから支払われるはわかりませんよね。

ひとり親になったときに受けることができる公的な支援金。そんなこともオットは知らないだろう。。。な。。。

私の大好きな友達たち。ママが生前楽しい思い出を共有してきた大切な友達。困ったときにきっと手を差し伸べてくれるだろう。そんな彼らの連絡先も顔も名前もわからないだろう。

そんなことを思うと「もしもノート」を作っておいていいと思うのです。


壮大な作品ができあがるかな?

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