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馬酔木を見て思い出す「女学生の友Jyotomo」

  むかしむかし、「女学生の友」(じょとも)という月刊誌がありました。今でいう「セブンティーン」と読者年齢層が重なる1970年前後の雑誌でした。初めて手に取ったのは中学3年生になったころでしょうか。私は「じょとも」の大人びた内容に胸をときめかせながら読んだものでした。

  文芸誌的な傾向が強く、小説などの読み物が多かったです。ある学園小説にあった女子高校生と男性国語教師の会話の中で出てきた万葉集の一首がなぜか印象に残っているのです。

  毎年 馬酔木の花が咲く季節になるとこの歌を思い出します。

磯の上に生ふる馬酔木(あしび)を手折(たお)らめど見すべき君がありと言わなくに

「岩の上に生えている馬酔木の花房を手折ってみようと思いましたが、
私が花を見せたいと願うあなたが生きているとは誰も言ってくれません。」

 庭に祖母が植えた馬酔木がありました。小さな池の庭石の近く、木漏れ日があたる場所に咲く白い釣り鐘状の小さな花房。少し緑色がかった「わびさび」を感じさせる花が、この歌の存在を知ってからは特別な花のように思えました。いにしえの人たちと同じ花を私は今見ているんだ。

  詠み人は「おおくのひめみこ(大伯皇女)」
  見すべき君とは「おおつのみこ(大津皇子)」

 お姉さんである「おおくのひめみこ」が謀反の罪を着せられ処刑された弟の「おおつのみこ」を偲んで(数年後に)詠んだ歌とだ解説する教師。「おおつのみこ」の妻「やまのべのひめみこ」はひどく取り乱し皇子の後を追い自害します。政治的陰謀が渦巻く時代の中で起きた悲劇 「大津事件」です。

 しかし国語教師は最後に「実はこれは姉弟の恋の歌だ」と言うのです。

 自分の処刑を察知した「おおつのみこ」は馬を走らせ、「おおくのひめみこ」が斎宮をつとめる伊勢神宮へ姉に会いに行きました。皇子が去っていく後姿を見送る皇女の歌も残っています。

  私にも弟がいましたが、私の夕食のおかずの横取りを常とする彼は私にとっては天敵のような存在でした。ですから姉と弟の恋という解釈はぴんときませんでした。姉弟にもいろいろな関係があるんだなと言うくらいの感想でしたっけ。

  それでも、春を告げる馬酔木の清楚な花を愛する人に見せたいと願う皇女の心にぼんやりと思いを馳せることはできたかもしれません。それ以来、馬酔木の歌の思い出は「じょとも」と重なるのでした。

  「じょとも」はわたしにとって多感な時期の友達でした。ファッションページ、欧米文化への憧れ、恋愛相談、栄養情報(当時は食文化が大きく変わる真っ只中でした)、映画情報(社会派青春もの)などなど、断片的な記憶をたどっていくと思いがけない当時の自分の姿が浮かび上がってくるのです。当時のアイドルの一人に桂三枝がいたのが面白いです。数ページにわたる桂三枝特集の読み物(ほぼ小説)がありましたっけ。

  馬酔木を見て、しみじみとした思いからはじまったのに、今年は次々と「じょとも」記事を思い出してしまいました。

  


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