見出し画像

破片に込められた想い

おはようございます。
人生100年時代に向けて《人生の質— Quality of Life —》を高める活動をしている《ライフデザイントレーナー》の丹後友里(@yuri_tango_0630)です。

久しぶりの更新となりました。
最近はやりたいことが方々から押し寄せて、一つ一つをこなすのが精いっぱいで、ついつい気力と体力を要するnoteが後回しになってしまっていました。笑

そんな中、今回更新するに至ったのは、PLANETS CLUBで行っている『PLANETS School』の番外編ということで

『3,000字のエッセイを書いてみよう』

という課題があり、参加するかギリギリまで悩みましたが、締め切り前夜に行われた『もくもく作業会』に参加したら………珍しく筆が乗りまして。笑
そのまま執筆を終え、翌朝起きてすぐ推敲し、提出に至りました。

そんな軽い感じで書いたエッセイですが、せっかくなのでnoteで公開しようと思い、今に至ります。
お時間ある方はほんの少し、お付き合いいただけますと幸いです。


=======================


 するりと音もなく滑り出したマグカップを見て、私は心の中で賭けをした。


 粗方店終いの作業も済み、あとはドリンクバーとコーヒーメーカーの受け皿を洗うだけになっていた。私は一刻も早く帰れるよう退勤時間と勝負をしながら面倒くさい受け皿と勤務中に使用していた自前のマグカップ(同僚の分も)を持って店舗と同じフロアにある給湯室の流し台で洗い物をしていた。このマグカップは、最近スターバックスで購入したリザーブロースタリー東京のオープン一周年記念のデザインマグ。札幌住まいの私は一度も訪れたことはないのだが、そのマグカップに描かれているストーリーが気に入って購入した。白地にカラフルな色合いで、スターバックスで提供されているコーヒーに使われる豆の生産から海を越えて日本に輸入され、スターバックスの店頭で訪れた客たちの好みのドリンクに姿を変えた後、自分たちを購入した客達が仲間内で和気藹々に語り合うというスターバックスらしいストーリー。

画像1

 重度のヘビーユーザーな私にとってはこの上なく明るい気分にしてくれるお気に入りの一品だった。私が洗い物を終えた頃、自分の仕事を一通り終えたのか、同僚が給湯室にいる私のところまで残りの閉め作業で終わっていないものがないか手伝いに来てくれた。しかし、タイミングよく洗い終わった受け皿とマグカップを背に私は首を横に振って申し出を断り、洗い終わった彼女のマグカップを手渡した。そして受け皿二つを重ねて左前腕部に乗せ、右手で自分のマグカップを持ち、同僚と共に給湯室を後にした。
 事務所の入口まで来るとセキュリティがかかっている扉を開けるため、私は首から下げている自分のセキュリティカードをかざすべく、右手で持っていたマグカップを左側の受け皿の上に置き、濡れた手でカードを取ろうと身を捩った。その時。


 するりと音もなく滑り出したマグカップを、視界の端に捉えた。
 私は軽く目を見開いて(ような気がした)、心の中で賭けをした。


 下は絨毯が引いてあるし、このマグカップも堅そうだから、案外無事かもしれない。いや無事であってほしい。
 まるで走馬灯でも見せられているかのようなスローモーションの動きと共にゆっくりと宙を舞いながら確実に重力に引かれて落下していくスターバックスリザーブロースタリー東京のオープン一周年記念のデザインマグ。
 そう強く祈ってみたものの、現実はさもありなん。床に接触し「ガチャ」と何かがヒビが割れを起こした音が耳に届いた瞬間、私は嘆息と共にマグカップに向けて感謝の謝辞を心の中で呟いた。そして、隣にいて一部始終を見ていた同僚が可愛らしい悲鳴を上げたのと同時に大小様々な形に成り代わって辺り一面飛び散っていくマグカップを見送りながら、二つディスペンサーの受け皿をどうやったら効率よく安定して持てるのかを本気で考えつつ、呟いたのだ。
「ですよねぇ……」  


 その後当人よりも動揺し、一人慌てふためきながら事務所のキャビネットからビニール袋を二枚取り出し被せて私に手渡し、心配そうにオロオロと事務所内を右往左往している彼女が少し危なっかしく思えたので、私は受け皿を渡して機械に元に戻すよう伝え、彼女を店の中に引っ込ませた。大きいのか小さいのかわからないが少なからず胸の内に存在しているショックとビニール袋を持って、ダイソンの掃除機を充電台から外して事務所の外に出る。

 わかりきっていた事実が、変わらずそこに在った。

 掃除機を事務所のドアに立てかけてからその場にしゃがみ込み、辛うじて面影が残っている破片から回収し、袋の中に一つ一つしまっていく。数はそんなになかったので後はダイソンの吸引力と掃除機の極意(掃除機を前に押すだけでなく手前にゆっくり引いてくることで中のローラーが逆回転を起こし絨毯から掻き出す力が強くなる)に任せ、残りの残骸を回収。袋と一緒に掃除機の中のモノ達をゴミ箱に捨てれば片づけは完了した。何とも呆気ない幕切れだ。購入してからまだ1ヶ月も経っていないというのに。事情を知った上司達も同情の視線を向けてきて、怪我の安否を確認されたが私は力なく空笑いを返し、キャビネットの中の一角にある私物スペースに置いている箱の中からあるもの取り出して全員に見せた。
「大丈夫です。私にはまだ、この子がいるので」
 中から出したのは、今回虹の橋の向こうに旅立ったマグカップの前に持ってきていた、これまた十年ほど前に購入したスターバックスのSAKURAシリーズのステンレスマグ。周囲にいたすべての人が、爆笑した。


 帰りの電車の中。やはりショックは隠しきれず、SNSにその心中を吐露した。すると少ししてから知人のアカウントからリプライが来た。そこには『モノが無くなったり、壊れたりするということは身代わりになってくれたんだよ』というご両親からの教えが書かれており、暗に慰めてくれたのだとわかって彼に感謝を返したのだが、私もそれは感じていた。
 昨今は新型コロナウイルスの猛威が振るわれており、私が住む北海道は”第二波”が来ているともされ、緊急事態宣言解除を目前にした現在も特定警戒地域として設定されている。日に日に新規の罹患者数は減りつつあるものの、まだまだ油断はならない北海道の中心都市にいる私としては気が休まらないのも事実。もちろん日々出来得る対策はしているし、体調管理も最優先で気をつけているのでこの数ヶ月体調を崩したことはほとんどない。それもで勢いが弱まりつつあっても可能性が拭いきれない新型コロナ実情の中、あのマグカップは大破してくれた。
「やはり、新型コロナから守ってくれた」
 私は思わずそう思った。何故なら、私は昔からとにかく運に恵まれていて、たいていの窮地は何とか脱するし、自分で「絶対に叶えてみせる」と強く願ったことで(多少遠回りしても)叶わなかったことは一度もない。そういう強運めいたことはこの三十数年ずっと続いていて、直近で言えば、新型コロナウイルスの影響で市場では品薄になっている使い捨てマスクを私はこの3ヶ月間方々から無料でひと箱単位でマスクが手元に入ってくるという事態すら引き起こしている。しかしそれは『数霊』という名前のひらがなを数字に置き換えて誕生日の数字と掛け合わせて判別する占い的にいうと、私自身が持っている本質を表す数字に『先祖や神様などの目に見えない力の恩恵を受けやすい』という特性があるのだそうだ。

画像2

 だから守ってくれるし、助けてくれる。いや、もちろんそんなことを最初から当てにしてはいない。ちゃんと自分が出来る最大の人事を尽くした上での結果、天命だと思っている。だが、その力の源でありその筆頭であろう存在は、二十数年前に亡くなった我が父であることは間違いない。彼は死してなお、至らぬ娘の行く末をこうして(生)温かく見守ってくれているのだ。もしかしたら、今回のマグカップの大破は身代わりではなく、スマホゲームにハマって生活習慣が乱れてきた娘へ父からの『警告』なのかもしれない。どちらにせよ、自分の身は自分で守らなければならないのだ。出来得る対策を万全にし、見えない敵に打ち勝つために最善の人事を尽くす。そして、新型コロナウイルス殲滅という天命を早々に勝ち取らなければならない。
 緩みかけていたであろう心の紐をぎゅっと引き締め、今日は二十二時前にベッドへ潜り込んだ。


=======================


いかがでしたでしょうか?
意外と長いと思った3,000字。

実際書き終わって蓋を開けてみれば、何と総字数2,997字という……。笑

それだけの字数割いて「こんなしょうもないこと書くなよ!」と思われるかもしれませんが、それでも伝えたいメッセージ性があればそれは『価値ある文章』になるんだと私は今回のエッセイの執筆課題を通して実感し、大きな学びを得ることができました(もちろんそのメッセージ性はちゃんと読み手に伝わる文章表現力が問われるわけですが……)。


これから『アウトプット』していきたいと考える方は、ぜひこの『伝えたいメッセージ性』というものに着目して書いてみてください。
『日常の中にあるちょっとした出来事』を捉える視点も、きっと変わるはずです。