さて田圃さんとは一体何者?〜爆誕編〜
という事ではじめていきましょうか。
田圃(たんぼ)と読みます。
車屋さんのコゾーさんであり、モータースポーツに傾倒して遊んでいるオッサンです。
そんな田圃さんの爆誕から今に至るまでのお話を思いつくままにつらつらと書いてみたいと思います。
とにかく田圃さんは現在オッサンとなる今に至るまでにこんな感じの変な人になるまで色々とございました。
今でも自分は兇状持ちっぽい様な気もしておりますw
そんな中で絶えず情熱を注いできてみた事はメカも走るのも兎に角クルマ、バイク、乗り物と言われる類が大好きであると言う事。
そんな気持ちで様々な出逢いに至り今の様なツイッタラーになっていった処をお話しできたら。
と言った感じで始めていきたいと思います♪
まず手始めに製作という名のゴニョゴニョの際の聞いたお話から。
どうも自分の胎教としてスズキ・ジムニー(当時の空冷モデルらしい)の2ストミュージックを聴きながら育っていった、と聴きました。
時代的に80年代。
この当時に空冷2ストミュージック(フィンの振れやファンの廻る際の空気を掻き乱す回転や燃焼、排気の匂い)にたぶんやられたのでしょう、水冷エンジンも出ていた筈なのに・・・・・
そんな胎教を受けたわけですから変わった、もとい変なヤツに育たないわけもなく。
割とオヤジもクルマはそれなりに好きでしたが、こんな子が産まれてくるとは夢にも思わなかったかもしれません。
そんな田圃さんが物心ついたころ。
クルマの絵を描く様になりました。
当時のオヤジ殿はダンプの運転手。
その時に乗っていた日産ディーゼル、今のUDですね、レゾナと呼ばれたダンプトラックが周りを走っておりました。
このダンプトラックを物心ついた2〜3歳くらいです、それっぽく描いて褒められたお子様の田圃さん、調子に乗って色々と描き出します。
また近所に走っているクルマやバイクやトラック、バスなどお子様なだけに気になるわけです、まじまじと車体を見まくり触りまくり、オッサンだったら逮捕モノ案件なわけですが、そこはお子様なのでやりたい放題となります。
おにーさんやらおじさんやらおねーさんやらおばさま、あらゆる方々に話しまくり聞きまくり、なんでどうしてと言った感じで田圃さんは情操教育の端緒にこんな状態ですから大人になったら博士になるとか言われて調子に乗るわけで、刺激的なカタチで育っていきます。
皆さんだとこんな感じのお子様の取り扱いは育ててらっしゃるとご苦労もあるかと思います、たぶん我が両親も大変だったのでは無いかと今更ながら自身の育ち方に頭を抱えている次第。
と言ったカタチで次回に続けていきたいと思います。