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エレベーターで声をかけてきた日本人のおじさん vol.6

エチオピアに来てどのくらいの時が経っていただろう

毎朝8時頃に迎えにくる会社の車に乗って出勤

ホテルから会社までは車で10分くらい

会社に着くとすぐにパソコンに電話線を繋ぐ

当時はwifiなんてなくて

電話線を使ってネットを繋げていた

「ピーーーーぷ、ぷ、ぷ、プププーピャーーー!」(繋がった)

素早くメールを受信して、電話線を次の人に渡す。

下書きに返信を書き溜めして、電話線がまわってきたらまた

「ピーーーーぷ、ぷ、ぷ、プププーピャーーー!」(繋がった)

で、送信。


ランチは事務所メンバーと食べに行ったり、持ち込んだり。

時間が惜しい時はホットクックを持ち込んでレトルトスープやカレーで済ませていたな〜

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事務所を出るのはだいたい17時頃

みんな見事に残業しない

仕事が残っていても平気で帰る


いつもと同じように車に乗り込んで、ドライバーにホテルで降ろしてもらう。

もうすっかり乗り馴れたエレベーターに乗ると、

「日本人ですか?」

と日本語で話しかけられた。

久しぶりの日本語に耳を疑った。

この街に私以外の日本人がいたのねー!!!!!!!!!!

とってもジェントルそうなおじさんはJICAの方だった。

エチオピア勤務になり、家が決まるまでホテルで借り暮らしをされていた。

私が一人ぼっちであることを話すと、

「同じくらいの若くて元気な協力隊がたんさんいるよ!一度来るといい」

と誘ってくださった。


孤独が当たり前だと思っていた私のエチオピア生活に、一筋の光が差した瞬間だった。


しばらくして、おじさんの家が決まって日本から奥様がいらした。

私はまるで子供のようにそのお宅によくお邪魔した。

たくさんの日本人の方を紹介してくださった。

温かい家庭料理にトラベルクッカーを卒業することができた。


あのエレベーターに乗れた日以来、私は一人じゃなくなった。

年の近いたくさんの知り合いができた。

エチオピアでの暮らしに慣れたみんながこの国での生き方を教えてくれた。

乗合バスの乗り方やトタン屋根のコンビニみたいなお店での(呼び方忘れた)買い物もお手の物となった。

一時帰国から戻ると、撮り溜めしたDVDを貸してくれた。

美味しいソフトクリーム屋さんを教えてくれた。



「縁」


そのおじさんが人生で一番大切にしているものだと教えてくれた。

おじさんは、南米や戦時中のアフガニスタンなど過酷な地域で勤務を重ねられていた。


あの日

エレベーターでおじさんに出会った日

会社を30秒早く出ていたら・・・

あそこで信号に引っかかっていなければ・・・

私はそのエレベーターに乗ることはなかった。

おじさんに会えなかったどうなっていたのか?

想像できないし、想像したくない。


「縁」


これは人生の最も重要な構成要素と言っても過言ではない。


エチオピアで私が無事に、楽しく、仕事が全うできたのは全て「縁」のお陰だ。

おじさんとの「縁」はその序章に過ぎなかった。


「日本の方ですか?」

海外に行くとついつい声をかけてしまう癖はおじさん譲りだ。


おじさんは、任期を終え、日本に帰国してしばらくしてから亡くなった。

最後にもう一度お礼が言いたかったのに・・・


会いたいと思った人にはそう思ったら会いに行く

あの人どうしてるかな?と思ったらそのまま連絡する

「またでいっか」は封印した。


「縁」を紡いでいくには、一つ一つの「縁」を大切にしていくことだと思っている。

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たなゆか
サポート金が貯まって、エチオピアに寄付できる日が来たりしたら嬉しすぎるな〜。学校を建てる、井戸を掘る、日本を体験するイベント開催などなど。うん、アイディアがたくさん浮かんでくる^^