私のかわいい無能ドッペル
こんにちは。
なんとも毎日忙しい。
何の変哲もない日常を過ごすだけでも忙しいのに、ここのところの引越し前後は完膚なきまでに忙殺されている。
住宅会社との軽紛争に始まり、引越し前後の手続き関係やら荷物の整理やらでてんやわんやである。
継続しているプログラミング勉強などままならない。
昨日も皆が寝静まった午前1時頃、なかなか手をつけれていなかった吹き抜けの転落防止用の網を手すりに釘で打ち付ける作業をしていた。
そんな時間に釘を打ち付けている者はわら人形ユーザーか私くらいのものだろう。
忙しいと「1日が48時間あればいいのに」とか「分身がいればなぁ」みたいな思いを抱く人は多いだろう。
自慢ではないが、実は私は後者を達成している。私にはいわゆるドッペルゲンガーというやつがたくさんいるようなのだ。
ただひとつだけ言っておく。ドッペルゲンガーがいたとしてもそいつは本体の分身であり、本体が優れていないと意味がないのである。
私のドッペルは定期的に友達や親に目撃される。
よく「あの日あそこにおらんかった?」ということを言われるのだ。
あるときは「あそこの無印の人をだめにするソファで寝てたよね?」、またあるときは「ローソンの前でLチキ食べてたよね?」と言われる。
私のドッペル。。。食べるか休憩しかしていない。
さすがはドッペル。外見のみならず性質も本体を忠実に再現している。
分身が増えたところで私の忙しさが解消されることはないが、コロナ禍の飲食店の一助にはなるかもしれない。
というかそれドッペルでも何でもなく、ただの世の中にごまんといる太った同志じゃない?
太っているというただその一点で同一人物とみなされるとは無念である。
やはり正常人間からすると太った人間は皆同じに見えるのだろうか。太い人間にもそれぞれ個性があるのだ。
外れ値だからと一括りにしないでもらいたい。
ドッペルはいらないから、ガリガリの働き者を私に授けてくれ。