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香川県のゲーム規制条例について、母親の立場から考えてみる。

香川県のゲーム規制条例が話題になっていますね。


我が家は香川在住ではないのでこの条例の当事者ではないのですが、母親の立場からこの問題にはたくさんのことを考えさせられております。もしこの条例の当事者であったら…いろいろと頭にめぐることがあります。

この条例が施行されたら…真っ先に思い浮かんでしまったこと

この条例を見て私は真っ先に「外食時にゲームをさせられないなあ」と思ってしまいました。仲の良い家族同士で外食を共にする際、大人同士で話が盛り上がることは多々あり、そんなときに子供達にはゲームで楽しんでいてもらう、というシーンがあります。はたから見たら子供をそっちのけでワイワイ盛り上がるダメ親に見えるのでしょうが、日々の仕事や家事で追われている中、時間をやりくりして仲の良い友達と子供同伴で会うという機会は、大人になっても素晴らしい貴重な時間です。子供はまだ会話で近況を語り合ったり、お互いの考えをやり取りしたりし合うよりも、単にゲームで遊んだほうが仲良くもなるし楽しいのでゲームをしたがります。大人は会話、子供はゲーム、お互いが外食で楽しく、なおかつなるべく他のお客様にも迷惑を掛けずに過ごす方法がこのスタイルでありました。

それがこの条例が施行されれば、人目を気にして21時以降はサッサと解散、ということになるでしょう。たまには21時を過ぎたって飲んでたっていいじゃない、そういってくださる人がどれだけいるでしょうか。ルール順守に厳しいこの世の中では、気にせずに留まれる母親のほうが少ないと思います。ま、飲むなって言われたらそれまでですけど。

つまり、この条例は現実問題としてあまり実現性の高いものではないよね?という感想を抱いたのです。でも、問題はそこじゃないと思います。実現するかしないかではなく、みんなが「子供とゲームとの付き合い方を考える」このことに、この条例の意味があると思ったのです。

子供とゲームの切り離せない関係性

我が家のゲームのルールは、「やるべきことをやってから」「ケンカしたら即終了」「上限3時間まで」です。上限時間が来たらゲームの電源が切れるように設定してあります。でも、これだけルールを決めていてもそれを守り切ることはなかなか難しい。Swithなどのゲーム機器以外にもスマートフォンやタブレットでYoutubeを視聴するなどインターネットの世界とつながる方法はいくらでもあり、そのすべてを管理するなどと言うことは不可能に近いからです。もしこのルールをしっかりと順守させる方法があるとすれば、それは「親が24時間管理体制に置いて子供の行動をチェックする」しかないと思います。でも、それが本当に子どもにとっていいことでしょうか。本当の意味での理想は、子供が自主的にゲームをやめる判断力を付けることです。でも、それを身に着けている子が小学生でどれだけいるか疑問です。

ゲームをやりたい気持ちは、もちろんわかります。私たちだって小さいころからたくさんのゲームで遊んで育ってきているからです。でも直感的に思うのは、私たちの小さな時に遊んできたゲームと、今の子達が遊んでいるゲームは質が異なってきているということです。私たちのころはインターネットがありませんでしたから個人で完結するゲームがメインです。もしくは、友達と遊びたければどこかの家に集まる必要がありました。でも今の子は自宅にいながら、ゲームの世界の中で友達と会うことができます。そのなかで、ケンカしたり助け合ったりしながら、人間関係の構築もゲームを通して行っているところもある。一人っ子のお子さんや家族の人が働いていて日中家にいない子など、ゲームがなかったら孤立しがちな環境の子も、ゲームがあるから寂しさを紛らわせられる…という子もいるのではないでしょうか。母親が働く時代に、「友達とゲームで楽しく遊んでくれていればいいか、便利な時代になったわ」と思う親も多いはずです。つまりゲームにだっていいところもある。だからこそ断ち切れないのです。

もうひとつ、ゲームの中毒性がどんどん上がってきているということです。映像の美しさやなめらかさ、IT技術の向上により、ゲームは日々楽しく、刺激的に変化しています。子供だけでなく、大人だってツムツムやポケモンGOにはまっている世の中です。その中毒性を、まだ判断力の乏しい子供に与えるとどうなるか。そりゃゲームを選ぶに決まってます。火を見るよりも明らかです。繰り返しますが、生まれつき「自分の判断でゲームをやめる」能力が備わっている子は、皆無に等しいです。親や周りの大人が、しつこくしつこく言いながらその判断力を養っていく必要がある。それにはとても時間がかかるし、根気もいるし、並大抵の努力ではなし得ないことなのです。

叱れない親が増えた

「ゲームとの付き合い方をしつこく教え続ける」その根気のいる作業を、今どれだけの親がやろうとしているか。私は、問題の本質はここにあると思います。ゲームに頼り切っていて、子供の将来を考えず、子供を叱れない「親」が増えている、ということです。

前段で書いた通り、子供とゲームはもう切っても切り離せない関係にあります。無理にゲームを禁止したり取り上げることは解決にはならないでしょう。しかし、ゲームには中毒性があり、長い時間を費やせばそれなりのリスクもあります。そのリスクが仮に依存症として現れた場合に、取り返しのつかないことになる。だからこそ親が日々の生活の中で、「やるべきことはやったか?」「ゲームばかりでいいのか?」「将来のことを考えているか?」と、口を酸っぱくして言う必要があるのです。

でも、これは母親の私だから持ち得る感覚かもしれませんが、「言っても聞かないから無理」「痛い目を見ればわかるでしょう」という親のいかに多いことか。言っても聞かないのを聞かせるのが親の躾だし、痛い目を見てからでは時すでに遅いのです。「痛い目を見ればわかる」なんて、もはや他人事です。子供をしつけるパワーも、情熱もない。そういう親に育てられた子供がどうなるか…?香川県は、先々を見たうえで、心配をしてあえて批判を覚悟で条例を提案したのではないのかな?と、私は思うのです。

ゲームをやりたいのはみんな同じ…「家庭」と言う聖域への警告

人間は、全力で怠ける生き物です。誰かが今、ゲームを「時間を費やさずに」できる方法を発明すれば、こんな問題はいっきに解決します。その解決のために欲望を燃やすから技術が発達するのです。だから、怠けや欲望があること自体は人間の本質ですし、決して否定はしません。

でも、現在は時間をさかのぼる技術はありませんし、自らの将来のために、またこの社会を維持させていくために、しかるべきときにゲームから離れて社会活動をする必要があります。その姿を子供たちにもしっかりと教えて行かなくてはならない。

でも悲しいかな、それを理解していても、子供に伝えられない親が増えました。それは親が疲れているせいもあります。周りもみんなゲームをやっているから、うちの子だっていいでしょう、きっと大丈夫でしょう、私だって疲れているのよ…そうやって危険と向き合わずに子供をだらしなく育ててしまう親が増えたのです。そしてその悪状況がほかならぬ家庭という聖域の中にあるからこそ、誰もその状況に立ち入ることができず、悪化させてしまっているのです。

「言っても聞かないのよねえ」

これをもし自分が言っていたら、危険信号だと感じるべきだと思います。私自身がこの言葉を言わないかと言ったら、言います。でも私はゲームとの付き合い方に関して、何度でも伝えなければと思っています。子供にしっかりと社会の一員として、生きて行って欲しいという願いがあるから。

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