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秋の風に揺れる稲穂を見ながら、ご先祖さまに想いを馳せる

週末、おばあちゃん家の稲刈りの手伝いをした。
秋は春に植えたお米の稲の収穫時期だ。

全身をがんじがらめにする程の筋肉痛に襲われたのは、本当に久々だ。一丁前に達成感と、秋の訪れを同時に感じる。

私のひいじいちゃんや、おじいちゃんも稲刈りを終えたらこんな風に思ったのだろうか。

今は亡きご先祖さまにもう聞けないけど。だらしなく寝っ転がって畳の匂いを嗅ぎながら、きっと彼らも同じような季節を過ごしたんだろうと想いを馳せた。

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おばあちゃん家はうちから車で15分くらいの場所にある。車を少し走らせただけなのに、山にぐっと近くなって、コンビニやスーパーなんかが一気になくなる。

そして、瓦屋根、縁側の廊下、畳の匂いの3拍子揃い。ドラマやアニメでよく見る、THE田舎のおばあちゃん家だ。

子供の頃は夏休みになると、しょっちゅう遊びに行った。
トンボを捕まえたり、側溝に絶えず流れている川に、葉っぱで作った船を流して遊んだり。思いっきり遊べるおばあちゃん家が大好きだった。

そして、大人になってみても、畳の匂いは落ち着くし、縁側から居間まで流れる風が気持ちよくて、自分の家でもないのに「帰ってきたなあ」って気分になる。

おばあちゃん家は、亡くなったおじいちゃんのさらに先代からお米を育てているみたい。今は叔父が受け継いでて、仕事もしながらお米を育てているから、あんまり多くは作れない。自分達で食べる分を作り、余った少しを売る程度。

そんなに多く作っているわけでもないのに、今年は人手が足りないらしい。普段は参戦しない私までもが駆り出された。

まず、稲刈りの朝。
自分なりの稲刈りコーデを組んでみた。動きやすくて、汚れてもいい服。だったんだけど、速攻で母に着替えさせられた。

稲がズボンをかすめると脚がかゆいから、下はジーパン。細かい稲や稲穂のクズが靴の中に入り込むから、長ズボンでも靴下は長め。日差しが強いから上は長袖で、つばの広い帽子が必須。らしい。
動きやすさよりも、必要なのは防御だった。

ツバの広い帽子なんて持ってないから、おばあちゃんの使っていた農作業用の帽子(サンバイザーに布がついて、首までかくれるやつ)を借りて、出陣する。

今は機械が刈ってくれるし、必要な時間も労力も昔に比べて格段に減ったみたいだけど、慣れていない私には結構きつかった。

何かのドラマで、楽しそうに歌いながら農作業をしているシーンを見たことがある。実際にやってみるとわかるけど、農作業中に歌なんか歌いたいと思わない。途中、ヘビが出てきて叫んだくらいで、ほとんど声も出してない。

暑い中、目の前のノルマを終えるまで、夢中になって単純作業を繰り返すだけ。無心で作業をこなすと、知らないうちに時間が経っている。

あと一つ気がついたことは、稲刈りの作業の殆どが、何の説明を受けないまま始まること。
母がしている作業を見様見真似でやってみて、その他必要だと思うことを、自分で考えてこなす。

きっと叔父も父も母も。親から細かい説明なんて受けたことないんだと思う。
そうやって、見てやってみる。うまくできない時はまた見たり、聞いたり、直されたり。それを繰り返して、おじいちゃんのさらに先代から、今の私まで。この作業は受け継がれているのだ。

「なるほどな、継ぐってこういうことかもな」
この農作業を通じて、そんなことを思った。

というのも、むかし東野圭吾の『クスノキの番人』という小説を読んで感じたことが、ここにきてストンと腑に落ちたのだ。

クスノキの番人では「血縁関係」が、一つのキーワードになっていて、血縁関係があることを条件に、亡くなった人からメッセージを受け取ることができる。

小説では、血縁関係のない親子も登場する。当然亡き父からメッセージを受け取ることができないが、そのことが家族の関係を揺るがすのか?と話は切り込んでいく。

その子どもは最終的に、生前一緒に過ごす中でしっかりと父の考え方や性格が受け継がれていることに気がつき、メッセージ以上のものを父から受け継いでいると悟る。

この小説を読んだとき、確かに口癖や好みの味などもっと身近な部分でも、幼い頃から習慣的に親から受け継いでいるものってたくさんあるなと思ったのだ。

財産、お墓、宗教、家業。目に見えて、親から「継ぐ」ものって沢山ある。

今は核家族が主体だし、何かの節目に「血縁関係」を理由に継ぐ継がない問題が発生したりする。

そういう家族間で発生する問題を避けるために、継ぐ必要のあるものを残さないって親も多い。

だだ、そういう目に見えるものだけじゃなくって、一緒に過ごした人にはさらにルーツがあって、人から人へと形にならないものがきっと。
もっとずっと昔から受け継がれてきているんだと思う。

うちの先祖が繰り返してきた、この農作業を身をもって経験したことで、自分の身にもしっかりとそれを感じた。

この稲穂の色も。
背中を伝う汗も。
全身の筋肉痛も。
もうすでに私のご先祖さまは知っている。

仏壇の横で笑っているおじいちゃんに、話を聞くことはもうできないけど。この作業を通して、私のご先祖さまと会話できたような気持ちになった。

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これは余談だけど、収穫したお米を農協に持っていったとき。
乗っていた軽トラがパンクしていることに、農協のおじさん達が気づいて教えてくれた。

軽トラの所有者である叔父となかなか連絡がとれないし、パンクしたまま走ることも出来ずに途方に暮れていると、おじさん達がすごいチームワークで詰んでいたスペアのタイヤと替えてくれた。

田舎の人ってなんて親切なんだろう!と感動したけど、「〇〇くん(叔父)にタイヤちゃんと修理出すように言うとくんやで〜」と言われて気が付いた。

田舎の人だから親切なんじゃない。〇〇くんの姪だから、親切にしてくれるのだ。

きっとここの人たちは昔から、小さなコミニュティで助け合って生活してきたんだ。叔父から始まったわけでもなく、もっと昔からこの人間関係も受け継がれている。

田舎って小さなコミニュティで噂もすぐに回るし、窮屈に感じることも多かったけど。今回ちゃっかり、その恩恵を受けてしまった。

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