ゲストハウス the CUEから始まる「自分」の物語
まちのリビングルームの誕生
田辺市の市街地にあるゲストハウス『the CUE(ザ・キュー)』。築80年の古民家をリノベーションし 2017年にオープンした、ゲストハウス・シェアハウス・カフェバーからなる複合施設です。運営しているのは『LLPタモリ舎』の中村文雄さん。中村さんは、田辺市に生まれ、関東地方の大学の不動産学部で学び、東京の不動産会社に勤務をしていました。実家が工務店を営んでいたこともあり、何かこの経験を生かせるのではないか?と思い立ちUターン。田辺が抱える課題に向き合う中で古民家のリノベーションに興味をもち始めます。そこで、地元で建設業に携わる30代のメンバーに声をかけて仲間を集め、「LLPタモリ舎」を結成しました。「タモリ」とは、田辺(タナベ)と、「家守」(ヤモリ・昔江戸のまちで不動産の管理などにあたっていた、現代のエリアマネージメントの役割)を掛け合わせた名称です。
冒頭の写真は中村さんと『the CUE』のスタッフメンバー。左から井上大吉さん、沖将勝さん、中村文雄さん、後亜沙美さん。
仲間と共に古民家リノベーションに取り組み、改修費の一部はクラウドファンディングで集めました。支援者のほとんどは地元の方々だったとのことで、地域を巻き込んだ取り組みになりました。
こうして、地域における活動の拠点として、海外からの観光客、シェアハウスの滞在者、地元住民が集い、これまで様々な形の交流の場をつくってきたまちのリビングルームが誕生しました。
the CUE の外観
「活動」のきっかけ ”CUE”
『the CUE』では、地域の課題(人口減少や空家問題)と地域の強み(熊古道の観光客数、移住者の増加、海山川の食材)を掛け合わせて新たな価値を創発することを狙っています。ヒト・モノ・コトが交わり新しいきっかけ(CUE)が生まれるという考え方です。
『the CUE』のロゴマーク。キューとは「きっかけ」を意味することば。3、2、1「キュー!」のジェスチャーと共に描かれている。
1Fのカフェバーはレストランが入居し運営していますが、備え付けの調理器具含め空間などはそのまま使用でき、固定家賃はなく、売上に応じた料金を月々支払うという、チャレンジしやすい環境になっています。そして、この場所を起点に大きく羽ばたいていってほしいという思いから、2年で退店というルールがあります。また、シェアハウスの方も2か月での更新となっていて、応援しつつも次の人にバトンを渡していく仕組みづくりをしています。
「自分は何をやりたいか?」人がそれぞれの物語を見つけ、一歩前に踏み出すためのきっかけづくりをしているのです。
CUEとヒトのストーリー
西山悠理さんは、『the CUE』の初代管理マネージャーをされた方です。西山さんは、栃木県の出身で、イルカのトレーナーとして毎年夏の時期に田辺の扇ヶ浜を訪れていました。毎年「おかえり!」といって迎え入れてくれる田辺が大好きになりました。ある日、オープン準備中の『the CUE』がゲストハウスでの住み込みの管理人を探していることを聞き、田辺に住んで仕事がしたいと強く思い、すぐに移住を決断しました。そして、『the CUE』のメンバーとともに改装作業に携わりながら、夢を語り合う中で取り組みに共感し、ゲストハウスの仕事は全くの未経験ながらも、開業後は一人でゲストハウスを切り盛りしました。
the CUEの初代管理マネージャー西山悠理さん
更井亮介さんは田辺市の出身。初代のカフェバー部分のレストランを運営しました。フランス料理を志し、帝国ホテルでシェフとして勤めた後、長野のフランス料理店でもシェフとして勤めます。長野時代から、フランス料理では高級食材でもあるジビエに注目して狩猟に動向し、解体教室、鹿肉料理開発などのジビエ料理を広く知ってもらう活動を行ってきました。その経験やこれまでの人のつながりを生かして、『the CUE』ではジビエバーガーを開発するなど、活躍をしてきました。現在は、『the CUE』を卒業し、田辺市で自身が経営するレストラン「キャラバンサライ」をオープンしました。そして活動はレストランにとどまらず、小学校での教育や、食材を提供してくれる農家との連携、地域の若手農家からなる「チーム HINATA」のメンバーとして、ますますパワーアップしています。
更井さんが開発した大人気メニュー「ジビエバーガー」
更井さんの後、『the CUE』のレストランは、これまた縁があり大阪からUターンをしてきた土井さんへとしっかりバトンタッチされました。
もう一人、その土井さんの大阪時代の飲食店の仲間で、宮城県で農家の会社に勤めていた佐藤さん。土井さんのところに遊びに来たことがきっかけで、人と触れ合う仕事がしたいという思いが強くなり、すぐに宮城県から引っ越してきました。現在は、レストランを手伝いながら、住み込みでゲストハウスの管理をしています。
『the CUE』のレストランのバトンを引き継ぐ。左から更井亮介さん、土井隆司さん
このように、『the CUE』にはさまざまな縁で人が自然と集まってくる、面白い「場の力」があります。
今できること、そして未来に向けて
2020年9月からコロナ禍の影響でゲストハウスはクローズに。外国人観光客がいなくなり、大きな打撃をうけました。しかし、新しい取り組みも始まっています。その一つが、レストランのお弁当を自転車で宅配するというもの。ウーバーイーツならぬ、キューバーイーツ。
宅配は、現在のゲストハウスの管理人である佐藤さんが行っています。お客さんにとっては、お店の良く知っている人から届けてもらうので、安心感がありますし、あたたかいコミュニケーションができます。コロナだからしょうがない、コロナがなかったら、と言い訳をするのではなく、この状況が現実なのだから、今自分たちができることから始める。これはまちづくりにおいても、とても大切な考え方ではないでしょうか。
『the CUE』を運営している中村さんに、これからのアイディアと展望を伺いました。
「田辺の海・山・川、自然を満喫できる体験型のアクティビティです。『the CUE』から一歩踏み出してほかの地元の人々とも協力しながら、素晴らしい星空を眺めたり、海でカヤックしたり、キャンプ・サイクリングなどなど、CUEを起点に屋外の体験ツアーを楽しんでもらうという計画です。
その中で、熊野古道は『よみがえりの地』とも呼ばれているので、コロナ疲れからの英気を養って帰るツアーなど面白いと思います。これからの課題として考えています。」
地域の様々な価値を組み合わせて田辺を120%満喫できる体験を提供していく。これも、中村さんたち『LLPタモリ舎』のメンバーが、ネットワークがあり、人を紹介することができるハブになっているからこそ、できることだと思います。有機的なつながりを生かした、まちのコンシェルジュへと進化しようとしています。
CUEと熊野古道の精神
今や世界から多くの観光客が訪れる熊野古道。田辺市はその入り口に位置し、昔から多様な人々を受け入れてきました。現在は、(海外からの観光客が来ていた時で)多い時には1日に800人もの人が訪れています。
熊野古道は、日本古来の山岳信仰・修験道の聖地でもあります。修験道とは、山に入って擬死再生を体験することで自分が「生かされている」ことを知り、新たな生を得ることで、昔の人々は熊野の山に神と仏を見出していました。
『the CUE』に集う人々が、自らの生き方を見つけ、より生き生きと輝いて巣立っていく様子には、なにかそこに重なる部分があります。ここで紹介した西山さんや更井さんたちだけではなく、ゲストハウスを訪れた海外の方、シェアハウスに滞在した人々も同じ感覚をもって帰って行ったのではないでしょうか。
東京で働いている私は、緊急事態宣言でオフィスから人の姿が消えたまちを見て、満員電車に耐えていたあの時間は何だったのだろう?会社に行く意味って何だっけ?と、ふと疑問に感じることがありました。
価値観が大きく変わり、働き方改革は強制的アップデートを伴いながら、加速度を増しています。会社という組織への所属意識は薄まり、個人がどんな生き方をしていくのかに比重が移っていくかもしれません。自分が共感できるコミュニティに帰属し、その中で生き生きとしている姿へのあこがれがあります。
そして、田辺には、そんな自らの場所・生き方を探して訪れる人をもてなし、甘やかすのではなく温かく見守り応援する、修験道の時代から連綿と受け継がれる何か、カルチャーがあるのではないでしょうか。
熊野古道の「再生の道」へとつながる、自分の物語を始めるための場所。それがCUEの精神なのかもしれません。
『the CUE』へ、自分の物語を見つけに行ってみてはいかがでしょうか?
記事を書いている現時点では緊急事態宣言下にあり、取材はすべてリモートで行いました。移動ができる時期になりましたら、私もぜひ、the CUEを訪れたいと思います。田辺を体感できるその日を楽しみにしています。
◎the CUE - hoso back yard house-
〒646-0031 和歌山県田辺市湊16
文:石川 孝
写真:永井 克(1, 2, 5枚目)