映画監督・プロデューサーは芝居を「教えて」はいけない1
映画・映像業界では昨年ハラスメント問題が
巻き起こった。
現在でも皆が納得できる着地点が見出せず、
被害者の負担は増えるばかりである。
なぜ、ハラスメント問題が今もまだ燻っているのか。
それは、映画・映像業界に憧れる若者
(映画に出たい、有名になりたい、
キャスティング権のある人と繋がりたい、
オーディションなどの情報が欲しい、お金が欲しい)を搾取する人間(養成所やワークショップを出ない
と映画に出れない、情報が入らない、
映画を撮るのに人件費は安くしたい)が
今も変わらずいるからだ。その搾取する側として、
映画監督とプロデューサーという肩書のものが
含まれる。
勿論、全ての者がこのような悪の考えで
生きているとは思わない。
ただ、彼らを多く見かけて共通して行われて
いるのは、役者に芝居を「教える」事だ。
私は映画監督やプロデューサーは
「教えてはいけない」と考える。
理由として複数挙げられる。まず一つ目。
「役者相手の経験•常識•感覚•環境と
自分の経験•常識•感覚•環境が全く違うから」
である。当たり前だが分かりやすく書く。
例えば、声と身体のトレーニング。
映画でも舞台でも自然体で人前で
芝居をするには、ある程度の体幹トレーニング
腹筋や背筋などのトレーニングが必要ではある。
しかし、私は緊張感で呼吸が浅くなる事を嫌い、
緊張時でも呼吸がある程度コントロールできる
心肺機能を鍛えたいと思い、
ランニングなどの有酸素運動の方が大事
だと考えていた。ここでトレーニングの「差異」
が生じるわけだが、当時は
話し合う機会も持たず、強制的に体幹を
やらされて辟易した思い出がある。
強制的に「こうしておけ」と指導される事は
到底納得してできるものではない。
納得できずにトレーニングしても目的を見失う。
そのようなネガティブな状態でトレーニング
していると効果も薄いし、嫌だという態度
も出てしまう。そこでコーチングを知らない、
映画監督やプロデューサーはミスを指摘する。
しかし、それはしてはいけない。
「教えてはいけない」の理由の二つ目になるが、
「ミスの指摘はプライドを傷つけてしまうから」
である。
ハラスメント問題の温床はここである。
明確な理論の裏付けもなく、自分の経験値で
このようにされても映画監督やプロデューサーの
常識と自分の常識は違う。だから
嫌なものは嫌だった。
そのような事態を避ける為には
「まずは役者を観察し、話し合うことから始める」
を勧める。
プロでそこそこの映画やドラマ、舞台に出ていれば、それなりに芝居についてスキルを持っている人
が多い。その各々のスキルを活かした芝居を観察し、こちらの意図するものと違うと感じれば話し合い、
芝居に対する考え方のここが違うと論理的に
説明がされれば、理解し納得し、
監督やプロデューサーの指導通りにやる。
しかし、気に食わないという理由だけで、
「文句を言うな。いいから、やれ」と言われたら、
もうその時間は無駄である。
まずはしっかりと話し合う事が大切である。
(続く)
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