アリでもキリギリスでもない私

寓話や民話の多くが、本質的自己を取り戻すため、星だった自分を思い出すためのウェイクアッププログラムですが、中には「神の子羊のままでいさせようとしてるのかな?」と思うような物語もあります。キリストではなくキリスト教がそうであるように、たとえば「アリとキリギリス」や「うさぎとかめ」の話は、自分自身がアリであってもキリギリスであっても、うさぎだろうとかめだろうと、ゴールに向かって走る7戦車を表し、それ以上でもそれ以下でもない人生を表しているように見えます。始ったら終わりがあり、その直線状の一生は二種類の生き方しかないような物語です。

アリでもキリギリスでもなく、うさぎでもかめでもないところに見出されるのが自己で、7戦車の次の8正義です。

いいなと思ったら応援しよう!