父を越える、母を越える

実際の、肉体を持った自分の父を越え、母を越え、越えた先には、地球の父と母がいて、その先には、本質的自己である恒星の父と母がいます。いつだって私たちは、母の腹の中に存在しています。腹の中で生きる以上、母を対象化することは難易度高めです。

私の実際の母は、私が16歳のときに亡くなったので、一緒に過ごした時間よりも、いなくなってからの時間の方がもう長いです。で、大学に入って一番はじめに取り組んだのが、母と向き合うことです。そのときは、生きていれば文句も言えたのに、1人の人として接する時間が持てたのに、など、様々な感情を体験しましたが、一番苦戦したのは、母が死んだことで心底楽になった、という事実に向き合うことでした。死んでホッとしたなんて誰にも言えない、と。

前述したように、実際の母の先には地球の母がいて、恒星の母がいます。母というのは、原理として、すべてを与え、すべてを奪うものです。これはどこまで行っても逃れることのできない圧力のようなもので、私が実際の母が亡くなってホッとしたのは、この圧力からちょっと解放され、より大きな圧力の中に生きることになったからです。

母は、その人の安心安全の大地で、その大地があるから自由でいられます。実際の母に基づく大地は人それぞれで、どんなにボコボコで居心地悪そうに見えても、その人にとってはふかふかの大地です。

恒星に回帰する人は、この実際の母の大地を蹴破り、恒星の母までたどり着きます。実際の母の腹を蹴破るには、父から与えられる、希望を見出し飛び出す力が必要です。実際の父を越え、母を越えることは、すでに越えているように見えても、腹の中で蹴りを入れているだけの場合もあります。実際のところ、父も母も亡くなってはじめて越えられるものかもしれません。

私の父は健在ですが、あるとき夢で、父に向かって「今まで地上の価値観に基づいて、社会に認められるようにやってきたけど、もうやらない。」と宣言していました。それからは、父は普遍化し、実際の父の姿を借りていても、それはまるで光に包まれているかのような普遍的存在に変わりました。母も同様です。実際の父と母と、実際に向き合い、関わり方を変えたり、諦めたり、悩んだり、傷ついたりするより、夢でやる方がおススメです。なぜなら、父も母も自分自身の箱の一部だからです。

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