苦労は必須ではない
自分が体験したことしか知ることはできませんが、肉体を持って体験したことしか理解できないということではなく、夢の体験もれっきとした体験です。むしろ夢の体験、エーテル体の体験、感情体験が主体で、肉体を持って体験した物質界の体験は、すべてが表向きの結果です。なので本を読んでも、映画を観ても、人の話を聞いても、ちゃんと体験したなら、それはちゃんと体験です。そしてあらゆる体験をすることで、立方体が自分のものになり、ティファレトが開通し、アナハタチャクラが開発されます。
ですが、苦労することや辛い思いをすることは必須ではありません。苦労したから今の幸せがあるわけでもなく、辛い思いをしたから他者の気持ちがわかるわけでもありません。世の中的に地上的に、「辛い体験をしたね」と言われるような体験が、私にもあるというのは理解してますが、私自身それらの体験を、たとえば振り返って緊張したり嫌な気持ちになったりすることはまったくなく、その体験があったから今の私があるとも思っていません。その体験があってもなくても私は私で、過去に支えられていると感じることが少ないということです。むしろそういった体験を表に出し、「理解してもらえる」とか「理解し合える」と思われることの方が、ちょっとやだなーと思います。
幸せも苦労も、その人にしか決められません。同じ体験をした人としか共感できないわけではないし、人と人は繋がり、私たちは様々な感情体験をしているものです。あらゆる感情体験とは、自分を知り尽くすための体験です。