胸を開通する、心開く
胸の位置を開発するためには、あらゆる感情体験が必要ですが、言い換えれば、興味の方向性に偏りをなくすということでもあります。胸から伸びるアームを、上下、左右、前後で考えた場合、下に向かい物質化したものは、上に向かい高次なものに捧げられ、左手で受け取ったものは、右手で表現され、前に向かう意志は後ろに支えられます。
そこに偏りがあるというのは、どこか一つにこだわるということで、一方にこだわると、もう一方は手薄になります。前しか見えない人は、後ろからやってくるものに気がつくことができず支配されます。過去を回収するとか、前世記憶を取り戻すとか、後ろにあるものを扱うことは、胸から後ろに伸びるアームを開通させます。
背中が硬くなり、後ろにあるものを受け入れない姿勢というのは、自分がどういう人間であるか知りたくないということにもなります。自分が何をしてきたのか、肉体を越えて蓄積されたものは、前に進むために必要なものです。肉の目が前しか見えないように、自分というのはいつでも気がつきにくいものです。
そういうわけで、「あらゆる感情体験」というのが、なんでもかんでも思いつく限り体験しようということではないことがわかると思います。自分にとって必要な体験をしていくことになります。胸が開通すると、自己肯定感は当たり前のように高くなり、自分という存在への信頼は揺るがないものになります。それが故に、他者や環境を思うことがなにかもわかります。
それから、上下、前後、左右、どこに興味が向かっているかによって、夢を持ち帰りにくいとか、夢の内容の偏りというが出てきます。