自分を裏切る、周囲を裏切る

自分自身に心底がっかりすることは、自分自身への淡い期待を腐らせます。そして周囲の人を裏切る自分は、周囲の人からの期待を腐らせます。あらゆる人間関係が、双方の期待によって成り立ち、「この人はこういう人」という無自覚な思い込みは、「これをしてくれる人」とか「これをしても大丈夫な人」とか「こういう思いにさせてくれる人」という無自覚な期待を生みます。真に人が変化したとき、周囲の人からするとその人は「期待に応えてくれない人」になり、今まで通りの人でいさせようとすることもあります。なので進化の過程において、周囲の期待を裏切ることは、つきものだと言えばつきものです。親が子に対する「こんな子じゃなかったのに」というやつです。裏切るつもりがなくても、裏切られたと感じさせてしまうものです。

社会内自己から本質的自己へと進化するとき、どうしてもこの裏切りは必要になってきます。裏切ったと感じる自分も、裏切られたと感じる周囲も、その気持ちは地上に基づいています。地上に基づいたものは13死に神によって粛正され、14節制で本質的自己に基づいたものが根付くのですから、必要な過程だと言えます。私はこういった裏切りを私自身が裏切りだと感じないので、私に裏切られたと感じた人は離れていき、そうでない人との縁は切れません。子どもの頃から、「私は周囲の人の期待を裏切っている」という実感があったので、私が裏切っていなくても、周囲は勝手にそう感じるものなんだ、という姿勢が染みついています。

周囲に微笑みながら、のらりくらりと真っすぐ進むといいですね。

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