徳を積む

いわゆる「今世最後だな」という人にはじめて出会ったとき、私は「徳を積んだ人」と認識していました。なので「徳を積んだ人」とは、自分のすべてを生きる人のことだと思っていました。ですがwikiを見ると、社会通念上よいとされることを積んだ人のことを言うようで、それでは今世最後にはなりません。世俗的徳と真の徳は異なり、本当の自分を生きるための徳を積み、本当の自分を生きることで、輪廻から自由になります。

帝釈天が悪行をしていないかチェックするとき、この悪行とは、本当の自分を生きていない、恒星太陽を生きていないことを指していて、悪徳とは、世俗的で地上的な自分を生きることだと言えます。本来そういうものだったのが、仏教が、釈迦から下ろされた蜘蛛の糸との繋がりを断ったことによって、重すぎる身体によって糸が切れ、意図が切れたため、意味は180度変わったのかもしれません。

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