エーテル体で意志を持つ
夢の中で意志を持つことができると、意志を持つことがどういうことなのかがわかります。私が「夢を見る」ではなく、「夢の体験」という言い方を頻繁にするのは、文字通り夢を見ているわけではなく、意志を持ち夢を作りだすかのように夢を体験しているからです。「夢を見る」というのは、自分ではないものとして、自分の心やエーテル体を眺めているからで、自分という自我が本体であるエーテル体とは別の所にあるということです。だから夢を「見ている」うちは、夢の意味はまったくもってわからないはずです。そこから少しずつ、夢は自分のもので、夢は自分そのものだという実感が出てくると、夢の意味に思いを巡らせることができるようになります。それはつまり心やエーテル体に自分が近づき、自分自身との距離を縮めたということで、心と身体、エーテル体と肉体、精神と物質が距離を縮めたということです。
実ははじめから夢で意志を持ち、夢を生きているのだけれど、それが自分ではないような感じがして、「見ている」ことになるだけであって、意志は肉体ではなくエーテル体にあります。「意志を持つ」とは、自分から近づくことでしか得られないものです。なぜなら意志を持つことは、真に能動的なものだからです。