「わかる」から自信があるのではない
「わかる」「聞こえる」という、何かしら能力のようなものがあるから、自信をもってなんでもできるわけではなく、どちらかと言うと反対です。自己を見出すことができているから、自ら決断することができ、自信が持て、「わかり」「聞こえる」ようになります。
生まれたときから「今世で最後だな」「高次存在と意思疎通しているな」という人が、先天的に遺伝的に授かったものがあるから、本当の自分を生きることができるわけでもなく、百歩譲って先天的、遺伝的だということにしたとしても、本当の自分を生きるために、自分を知り服を脱ぎ、真ん中を見出す作業は、自ずとしているものです。
私の場合、10代20代に出会った「今世で最後だな」という人達に対して、その時の私は「前世で徳を積んできたんだな」と思っていました。徳を積むというのは、善行を重ねるということではなく、今、全惑星意識として捉えているような、自分を回収するという意味で捉えていました。だから「○○さんはいいよね」みたいな気持ちになることはなかったし、「それだったら上手く生きれるよ」みたいに思ったことは一切ありませんでした。むしろ誰もが同じテーマ、道を辿ることに感銘を受けていました。
だから「私には力がないから」とか「私にはわからないから」というのは、自己を見いだせていない、個性を確立できていないということなります。意志がないから、とも言えます。