夢解釈はシンプルさも大事
夢の中で感じたことは大事なことで、起きてから、その夢に対して感じたことも同じだけ大事なことです。夢を書き出していると、夢の中では当たり前だったことが、「?」と気になったり、夢の中ではなんてことなかったのに、「ここが大事なんじゃないか?」と気がつくことがあると思います。そしてその気づきと共に、夢の印象がぐらぐらっとして、「あれ?どうだったかな?」となることもあると思います。そのすべてが、夢解釈において大事なことで、解釈するために夢の中で感じたことを訂正する必要はないし、起きているときの自分が、「これは私の癖が表れてるな、やだなー」と感じていることもとても大事なことです。
たとえば以前の私の夢で言うと、潜水艦が海面に浮上し、艦内に光が差し込んでいるのを、私は潜水艦内部で見ていると、有機物のような生物のような潜水艦の内壁が、内臓が溶けるかのように、ぼとぼとと血液や肉が落ちてきて、そのうち飲み込まれて一体となりました。この夢の中で私は、落ちてくるものをちょっと避けてみたけれど、まったくもってよけきれないので、そのまま飲み込まれ、それは特に非常事態でもなんでもなく、恐怖もありませんでした。
で、起きてから、そう言えば今日は春分の日で、牡羊座1度「女が水から上がり、アザラシも上がり彼女を抱く」の日だったな、と気づき、この生き物のような潜水艦はアザラシで、私はアザラシと一体になったのか、と解釈するわけです。
牡羊座に入るとき、それまでのことは忘れ去られるわけですが、それはどこかに置いてくるわけではなく、魚座で結晶化されエッセンス化されたものとして一体となり、手に取って見ることができなくなったということです。一体となったものは、背後に張り付くアザラシに変わったとも言えるし、このアザラシとはかつての自分でもあり、新しい世界に持ち込まれる未知の可能性でもあります。また女とは受動的なものを表しています。春分からの新しい一年というのは、能動的に一歩を踏み出すというより、受容したもの受胎したもの、一体となったものに動かされるということです。
春分の日らしい夢で、私は未知の可能性そのものとして、アザラシとして一年を過ごすことになりそうです。夢で感じたことを変えるわけではなく、起きてからその夢に対して感想を持ち、意味を考えます。夢解釈は複雑なようでシンプルです。