暴力と略奪と火
人を殺したことのある過去世というかストーリーを持っている人は、そんなに少ないわけではなく、もちろん殺されたことのある人も少なくありません。「あの時は仕方なかった」という納得しやすいストーリーだけでなく、残虐性を帯びる場合もあるわけで、暴力や略奪は、誰の中にでもあると言えばあるわけです。自分の中の残虐性や暴力性は、今ここでの自分が実際にすることはなく、人を殴ったこともなければ罵ったことがなくても、それは影に回り、夢の中では平然と女子供を殴れば、盗みもするという場合もあります。
影と対峙するうえで、こういった自分の中の暴力や略奪がテーマになることもあります。それは自分が殴る側としてだけでなく、殴られる側としてもです。やったことはやられたことであり、やられたことはやったことでもあるからです。私の場合、子供の頃から、「弱いものを傷つけて奪い、そのことを謝らなかった」という物語を自分の中に感じていて、だからと言って「過去世でしたことを現世で償おう」という発想には全くなりませんでしたが、あるときこの話を師匠にした時、全然仕方なかった話ではないのに、「仕方なかったのよ」と言われた瞬間、この物語から解放されました。仕事中なのに号泣しました。
暴力や略奪というのは、土に抵抗する火で、土の秩序の外に行こうとする火です。土に閉じ込められた粗雑な火は、暴力や略奪のようになることがあり、肉体の閉塞性が所有を生み、そして暴力や略奪を生みます。土に縛られているうちは、火は粗雑なままかもしれず、無茶苦茶なことをして欲しいものを手に入れようとしたり、人を傷つけることで火を使っている気になるかもしれません。火を洗練させることは大切なことです。